師走

やっと完結したA子さんの恋人のことをちょっとずつ書いているんだけれど、書く意味があるんだろうかと思ってやめたり、書いたりを続けている。今回は、今年のまとめの日記。

今年はあってないような一年だった。プライベートでは、世の中がこんなふうになる前に決めた結婚式に関する選択をひたすら迫まれ、生きた心地がしない時間がとても多かったなあ。結局縮小を選んだけれど、それでもなお状況は変化し続けていて、今もとてもつらい。正しいことは私が決めるしかないと、胸を張れるのは少しの間だけで、気がついたらドロドロの沼の中にいる。

仕事に関しては、ギブアンドテイクの精神を持つことをやめて、この職場で人とは最低限にしか関わらないと決めた。これは残酷に見えて、変に他人との関係に責任を持ってしまう私にとってはかなりプラスだった。コロナ禍に乗じて入社してきた人が、三人とも恐ろしいほどに無責任で、規則を破りまくり、管理の隙をついてズルばかりする人たちだったのだ。なのに、それぞれが起こしたトラブルなどを、お人よしに見える私にみんなして相談してくる。バカにしてんのか。一生懸命教えても、書類提出の締め切り前日にずる休みする人がいたり、今までの人生で見たことのない社会人レベルの人たちをよくここまで集めたものだと思わざるを得なかった。すごい!もうTwitterでネタにできないレベルまできてる!

そんな中、ここ数週間で引っ越してきた隣人がネトゲ廃人で、毎夜うおー!とか、よっしゃー!とか、おいたわしやーwとかいう叫び声が聞こえ、夫婦ともに眠れない日々が続く。管理会社に出した苦情から察したのか、意外にも人のよさそうな見た目の隣人がお詫びに来てくれたのはよかったのだが、今もシンプルに声がでかいんじゃっ…!私もオタクなので、好きなものに熱中する気持ちのすべてを非難することはできないのだけれど、でかいんじゃっ…!

オタクの隣人にとって、ヘッドセットはこち亀の本田にとってのバイクと同じ感じなんだろうなと思う。こまった~。話がわかる感じの人だったから、直接言おうかと思うのだが、こんなに騒音トラブルが面倒臭いと思わなかった。大好きな家にいることがストレス…。ゲーム始まる前に寝なきゃという思考が悔しすぎる。

 

なんだんだ、みずがめ座は12月から最高ってたいていの占いに書いてあったのに、今月ずっとこんな調子だぞ!二人ともみずがめ座なのに、くやしーー!

昨年は、名村のイベントに夫がDJとして出演していたので、友達と歌って踊ってKOHHでガンガン〆て「良いお年を!!」と挨拶し、とても楽しかったのだけれど、今じゃそんな日々が考えられない。まさか一年でこんなことになってしまうなんて。

ぐちぐち書いてしまったけれど、今年大変な中で得られた大きなことは二つ。前述のとおり、仕事でギブアンドテイクが全く通用しなかったことで、以前よりも少しは抵抗なく人を切り捨てられるようになったこと。もう一つは、アウトプットへの焦りよりも、堂々と楽する方をとれるようになったこと。何かしなきゃと思っていても、昼寝することの方が好きだったりして、後者を選んだ時に自分を責めていたけれど、それがなくなった。だって私昼寝も好きだから仕方ないよなー!最高に気持ちいいもん。気が向いた時にやればいいか、という感じ。こんな風に、少しずつでいいから楽に生きたいな~。はやく気楽なババアになりたい。毎年同じこと言ってる。

 

近況は、最近国立国際美術館に、ロンドン・ナショナル・ギャラリー展を見に行った。

ちょうど原田マハのジヴェルニーの食卓という印象派画家の絵画の背景や生い立ちを描いた小説を読んだところだったので、いつか見たいと思っていたエドガー・ドガの踊子の絵が自分の住む街で見れる機会に感激した!

 

ジヴェルニーの食卓 (集英社文庫)

ジヴェルニーの食卓 (集英社文庫)

  • 作者:原田 マハ
  • 発売日: 2015/06/25
  • メディア: 文庫
 

 印象派の絵は、緻密な絵が好まれていた当時は「落書きだ」となかなか受け入れられなかったという。私は印象派の絵は元々好きだったので、「そうか?」と思っていたけれど、この企画で印象派以前の絵画を一通り見てから印象派コーナーで絵を見ていると、「粗っ…!」というとても正直な印象を持ってしまったので、当時受け入れられなかった人たちの気持ちがよくわかった。一枚一枚の作品への感動以上に、100年以上先の未来を生きている私が、当時の人の心をリアルに感じられたのが、とてもよかったな。

それでもやっぱり、観終わった今でも一番印象に残っているのは、セザンヌの「プロヴァンスの丘」なのだけれど。

私みたいな超ライトにアートを楽しんでいる人間は、マハの本を読むだけで美術館に行く意味ができる。「楽園のカンヴァス」があまりに面白くて、わざわざ大原美術館ピカソの絵を見に行った。

そういえば、大学生の時、何度も何度も、中村一義の良さについて熱弁されたことがあった。「中村くんはたった一人で音楽やってて、オリコン1位取れなかったら死ぬつもりで金字塔をリリースして、ほんとに1位とったんだぞ」とか、なんとかよく言われたっけ。曲以上にその生い立ちや彼の持つ孤独や信念を説かれ、やっと聴いてみる気になったときのことをいつも思い出す。マハの本にはそんな風にアートの背景から興味を持つことのできる力があり、読む本に困ったら買うようにしている。公式のプロフィールめっちゃ面白い。

PROFILE | 原田マハ公式ウェブサイト

そして、原田マハは、これまた中村一義を薦めた人と同じ人に大学のときにすすめられて大好きだった作家・原田宗典の妹であるということも、なんだか運命的だ。

国立国際美術館は会社からも近いし、もう一度見に行きたいな。すみっこぐらしのコラボぬいが可愛すぎるので、もう一体くらい買いたい。映画版すみっコぐらしを見てドバドバ泣いてから、なんか可愛いと同時に可哀想というか、なんとも言えない気持ちに胸が締め付けられ、マスコットを買ってしまいがち。一緒にすみっコぐらしの映画を見ていた夫によると「こいつら圧倒的に弱者なんよな(号泣鼻ズビズビちーん)」とのこと。たしかに。てことは、私は偽善者なんだろうかとか、すみっコを手にすると考える。

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青い春

試しにtwitterから距離を置いてみた。トレンドに疎くなるかなあと思ったけれど、そんなに不自由しなかった。音楽は新しいものよりTWICE中心に聴いていて、読みたい本はネットよりも新聞の書評で探すようになっていたし。新旧問わず気になったものを適当にかいつまむようにしていたら、今更映画の「青い春」を見ることとなり、激ハマりして豊田利晃青春三部作を見るなどしていた。松本大洋の原作コミックスも買い、時間のひずみがやばい。ここは2000年代初頭なのか。でもそれが楽だった。mid90sは観に行ったけど。

 

川端康成の禽獣が面白すぎて、何度か読み返している。鳥や動物を多頭飼いしている主人公の話だが、執着心の落差と切り離し方が残酷で、不気味。そしてその心理に自分の孤独が投影されているのがめちゃくちゃ面白い。この作品の読書会とかあれば行きたいな。

抒情歌/禽獣―他五篇 (岩波文庫 緑 81-2)

抒情歌/禽獣―他五篇 (岩波文庫 緑 81-2)

  • 作者:川端 康成
  • 発売日: 1952/06/25
  • メディア: 文庫
 

 

そして「青い春」。学生時代に通っておかなかったばっかりに、しばらくこの映画のことしか考えられなくなる。

青い春 [DVD]

青い春 [DVD]

  • メディア: DVD
 

 

フジロック配信の影響で久々にミッシェルガンエレファントばかり聴いていたので、劇中歌がタイムリーすぎて最高!!この映画観てから「ブギー」聴くと涙腺が緩むようになったし(木村の大一番のシーン、大好き!!)、「ドロップ」を聴くと、青木のことを想って胸がぎゅっと苦しくなる。

 

ラストシーンでは、青木の花がそんな形で咲いてしまうのかと、彼の本編の中で一番優しい声を聴くたびに、悲しくてウッと一瞬呼吸が止まってしまう。そして、体の隅々まで平等に酸素が行き渡るように息を吸って、ゆっくり吐く。青木の孤独が、自分の中にストンと落とし込まれるのを確認する。青木や過去の自分に、少しでも誠実でありたいのかもしれない。

 

私は、大人になることは「1か0以外の答えを出せるようになること」だと思っている。大人になる前は、大事な何かを諦めるためには他の「正当な」理由が必要だと思っていたし、それがずっと苦しかった。自分の場合は、26歳くらいまで1か0、もしくは黒か白に例えるならば、グレーの答えを出すことができなかった。グレーな答えとは、やる気がないとか、面倒くさいとか、今じゃないとか、そういうことだ。

 

青い春が描く世界は、学生時代特有の、1か0しかない極端な世界だと思う。その窮屈さに痛いほど身に覚えがあったし、だからこそラストの青木のことを思うと悲しくて言葉が出ない。そうじゃなくていいのに、と。亡くなったテラハの花ちゃんに対しても、同じようなことを思う。

 

と、まあストーリーに関して冷静に語りたい気持ちがある一方、めちゃくちゃミーハー視点で俳優陣に大ッッッ興奮していたので、あーもーめちゃくちゃかっこいいヤバい死にそう!!!!!えーどうしよピエーン!!!!!という、オタク久々の沸点超えで心の叫びが止まらない状態に。ひたすら二次創作を検索するくらい興奮した。まじ、オタク殺しの作品じゃん…。

 

何度も見返しているけれど、初見はとにかく九條九條九條!!10代の松田龍平やばすぎる、こんなに雰囲気があって美しい人間見たことがない、きれいな白い鳥みたい…(イケメン見たときのいつものたとえ方です)と、青い春観終わった瞬間ぴえんの顔しながら若いころの松田龍平の画像検索をして漁りまくる。

 

漫画にありがちな「何にも考えてなさそうな(綺麗な顔の)学生」の再現度高すぎやしないか!!!速攻でU-NEXTに入会して、松田龍平のデビュー作であり主演映画となった大島渚の「御法度」も観た。ああ美しい…。

御法度 [DVD]

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  • 発売日: 2000/05/21
  • メディア: DVD
 

 

平たく言うと新選組に超美男子(松田龍平)が入ってきて周りの人間がみんな松田龍平のこと好きになっちゃって大変なことになるBLだったんだけど、自分の10代の松田龍平への一時的な入れ込み方が異常だったのでそのストーリーもかなりしっくりきた。くう〜これで映画デビューだなんて想像しただけで鳥肌立つ!!そして演技はともかくトミーズ雅の配役がとても良い。

 

二度目は、周りの友人達、特にユキオと木村に心を奪われる。あの、こんなにも出演俳優のことがだいっっっっっっっ好きになってしまう映画、今まであったっけ…。ユキオ役の高岡蒼佑と、木村役の大柴裕介がサイッコーすぎる…。でてる映画もっと見たい…。最近のこの記事の写真もカッッッコよくて何度も読んでるわ。激渋〜かっこい〜語彙力〜。

oceans.tokyo.jp

 

まあでも20年前の映画なので、役者に関しては離婚や事件などプライベートな部分の方が自分にとって印象が強かった。大人になる前を描いた映画だけに、現在の役者の現実が、この映画を見た後の切なさに拍車をかけている気がする。

 

新井浩文のオタクの友達が、二年前に京都みなみ会館でやっていた豊田利晃青春三部作上映会において新井さんが豊田監督に寄せた青い春のコメントをLINEで送ってくれたけれど、とても、とても胸が熱くなる内容だった。ああ、役者としての活躍をもっと見たかったな。

 

マメ山田先生も大好きなので手品が見たいなー。ナイン・ソウルズの役も好きだった。

そして和山やま先生のこのイラストがだいっすきで、久々にpixiv開きました。

 

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その他、居住空間を良くするのにハマっていて、春から植物も3つ買った。めっちゃかわいい。

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引っ越しから一年半かけて少しずつ棚を買い、やっと絵でも飾れる感じになってきた。さかざきちはるの絵が買いたいんだけれど、昔のしか売ってない…。今年のペンギン百態の鳥のやつが可愛すぎて、どうしてもこれが欲しい。コールダックちゃんとの絵とか、複製原画で売ったりしてくれないかなあ。

www.fashion-press.net

 

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twitterから距離をとっているのは、もうここ数か月、誰も自分に危害を加えていないのに、ずっと自分の中で自己を守るための戦いが繰り広げられている感じがしてしんどかったからだ。例えば私は「香水」もいい曲だと思うんだけど、なんかネット上で馬鹿にされていると疲れる。

これは省エネで生きるいい機会だと思い、情報源を一部断つことで、否が応でも変わらなくちゃいけないなと思っていた部分にもなあなあにせず向き合ってみることにした。でも最近、なーんか方法が間違ってる気がするんだよな〜。定めたゴールに狂いなし、ただプロセスに誤りあり!というかんじ!に気付いたのがここ2日くらい。うーん、どうしたもんかね〜。

フジロック配信など

フジロックの配信で毎日アルコール9%の酒を飲んでいたら、音楽はやっぱりいいなあと思う気持ちと、最近の気疲れがどっと表に出てきてだいぶカオスだった。コロナ禍でコミュニケーションにストレスを感じることが多く、かなり参っている。ひとまずSNSから距離を置くのが一番なのかもしれないなあ。コロナ禍によるストレスなのに、元の世界に戻るのもとても怖い。「来年こそフジ開催してくれ!」というたくさんのツイートを見ると、全くそうは思えない今の私の不健康さを痛感するのであった。

 

めちゃくちゃに酔っているときにフジ配信3日目のサンボマスターのライブを見て、「この人なら音楽で世界は変えられる気がする。まるで20世紀少年のケンジみたいだな」と思っていたら、2分後くらいに夫が全く同じことを言いだして驚いた。私は特に、エレカシのミヤジと奇妙礼太郎に対してよくそう思う。今年の配信はほぼ一曲ずつだったけれど、エレカシは「ガストロンジャー」で、混沌としている日本の政治の状況を思うと、例年以上の重みを感じた。Mステで歌ってくれよ。そして最後のThe Cureでは膝に湖ができるんじゃないかというくらい泣いた。

 

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そういえば最近、友達のブログを見ながら、私もHSP(Highly Sensitive Person)の疑いがあるなとふと思い、診断テストをしたらやっぱりその傾向があった。カテゴライズされると結構楽なもので、「あーだからこういうこと苦手で、逆にこういうことが得意なのか~!!」とスッキリしてよかった。光や音などの刺激分野には当てはまらないけど。

 

blog.counselor.or.jp

 

HSPだと思い始めたきっかけは、映画を見ているときにしんどくなることが増えたこと。自分は感受性が強い方だと周りに言われるが、中でも共感力の強さには自覚がある。最近は映画の中に入り込みすぎて、現実との区別がつかなくなり、登場人物の心の痛みや恐怖がダイレクトに響くことがある。「心の境界線が薄い」ということなのだろう。話題になった映画「パラサイト」も、気持ち悪くて映画館を出ようか何度も迷った。同じようなネガティブな感想を持つ友人は他にもいたけれど、「あの暮らしを見て自分の生活がいかに尊いものかと知った」とのことで、私のまるで自分がそこにいるかのような嫌悪感とは全く別ものだなと思った。

 

特に最近韓国の作品を見ることが増えているが、全員知らない役者なので、まるで本当にあったことのように思えしまって、苦しくなりがちだ。邦画だと、役者のことを知っているので、例えばどんなに菜々緒が悪役を演じていようが菜々緒なのだが。邦画見てる時の「うおー演技ウマ~!」くらいの余裕があると気が楽。

 

中でもネトフリの「愛の不時着」の少佐の存在にはストレスがたまりすぎて、心臓が爆発するかと思った。白人警官による黒人差別が問題になったので、「ブラック・クランズマン」も観たけれど、これも秘密がバレないかハラハラして、なかなかしんどかったなー。

 

ということを考えていると、私は以前秘書の仕事をしていたのだけれど、あれは今思えば合っていたんだなと思う。危機管理能力が高いことや、些細な変化に気づきやすいのもHSPの特徴なので、少ない情報の中で、起こりうるパターンを想定し、可能性のあるところには根回しすることを意識しながら仕事をしていた。

 

だから、逆に「行き当たりばったり」というのは苦手。毎日「ランチを何食べるか」という小さなことにも、その日の天気、曜日、予定、を加味しながら頭をフル回転させて考えてしまうので、めちゃくちゃしんどい。

 

普段から、他人の仕草や行動から得る情報量の多さに苦しくなることは多い。でも、特に仕事においては、自分の性質によって得をしていることもたくさんあるので、うまく付き合っていけたらいいなあと思う。自己肯定感の低さはなんとかしていきたいけど。

 

以前「今日ツイッターで自己肯定感の低い長女ってツイートが流れてきたんやけどな、これまさにあんたのことやで!」と夫に言われ、「ば、ばれたー!!キャ、キャイーン!」と怒られた犬のような顔をしていたら、「なので今日から末っ子やと思いなさい。」という非論理的かつ突拍子もない夫のアドバイスが最高すぎて、これは私の中で伝説である。

 

そういや、私は周りの恋愛事情などにはかなり鈍い方なんだけれど、去年会って二日目の人に、なんとなく「もしかして文字に色がついて見える人ですか?」と聞いたら「そうです」とのことだった。その人には後日、「共感覚を隠していたのに、勘が鋭すぎて怖かった」と言われ、それが一番HSPに関して納得できるエピソードなのかもしれない。キャイーン

 

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日本近代文学ちゃんと読もうキャンペーンは続けていて、最近は三島由紀夫の「潮騒」と川端康成の「伊豆の踊子」を読んだ。偶然にも三浦友和山口百恵映画化シリーズになってしまった。ちゃんとタオルで裸隠してる百恵ちゃんの画像見ながら読んだ。

 

地方が舞台の小説ばかり読んでいるせいで、旅行に行きたくて仕方がない!いつか落ち着いたら、潮騒の舞台の、三重県の神島行ってみたいよ~。

 

www.iseshima-kanko.jp

ピンチこそチャンス

また感染者数が増えてきて、ステイホームな日が増えている。週に一度の在宅勤務は相変わらず続いているせいで、会社に行くのが余計に億劫になった。また、同じ関西圏でも帰省しづらくなり、万が一自分が無症状でかかっていたとき、どうしようもないのでお盆時期に帰るのをやめた。じゃあどう過ごすかといっても、私はお盆休みがないので、ほぼいつも通りの毎日になるだろう。

 

今は休日に堂々と家にこもることができるので、夫は「今こそ、やっていない人とやっている人の差がつくよ」ということをよく言う。私は完全に社会人としての伸びしろを伸ばしていくことをやめてしまったので、なかなかグサッとくる。特に在宅勤務の日が被ると、夫の方がよっぽど忙しいので、なおさらもっと利益につながるようなことをしなくては、と申し訳なくなる。要は今こそ!ピンチこそチャンス、なのだ。なんて、ああ、思いたくない!!!!部屋でゆっくりしたいし、のびのびゴロゴロしたい。頑張らない自分をもっと肯定したいんだけどなあ。別に夫どうこうでは全くなく、一人でいても全く同じことで焦燥感を感じてしまう人間なので、これはもう「よっしゃゴロゴロするぜー!」と言えない私の問題なのである。

 

と思ってたら、山田ルイ53世のこの記事が流れてきた。こんな風に生きたっていいじゃないか。今の私はこれくらいがいいなあ。もう頑張ったり、何者かになるの疲れたよ。

www.e-aidem.com

 

せめて結婚式関係の口コミで少しでもお小遣いを稼ごうかな、と思ってアカウントの登録をしたら、一瞬で気持ち悪くなってしまった。最近の感染者数の増加で、延期になった結婚式のことを考えることが増えて、今の時分の一番の悩みの種となっている。誘われている方も今は心配だろうなと、相手の気持ちになると申し訳なくて、体が小さくなって、どうすればいいかわからない。

 

「どうして、他の子は結婚式できたのに」とか「さっさと結婚式をやっておけばよかった」とか、僻む気持ちを抑えられない時もある。いくつかフォローしていた結婚式関係のインスタグラムも、なんだか嫌になって少しずつフォローを外している。こんな風に、感染していないけれど、心因性のコロナみたいな感じなんだろうなあ、と思うようなストレスの種がまた増えてきて、頭を抱えている。うーん。

MRIに入った

6月に入ってから目の疲れを感じるようになり、6月末頃からは急に顔の左側の筋肉がひっぱられるような感覚が生じ、たまにぴりっとしびれるようになった。今回に関しては、虹プロジェクトにハマりまくったり、あつ森をやりまくっていて、目の疲れがたまっている自覚があった。これは眼精疲労だなと思い、眼科に行くも「スマホ老眼じゃない?でも確証はない」みたいなことを言われ、とりあえず目を使うことを減らすしかないと、毎日21時には寝ていた。 それでもぴりぴりする場所が増えてきて、テレビやスマホの画面を見ると変な吐き気もするし、一向に良くならない。医者の友人が心配して連絡をくれて(何科を受けるべきかわからなかったので、本当にありがたかった…)耳鼻科や歯医者に行くも、原因不明。今コロナの感染者数が増えていることもあり、下手にでかい病気だったとき、大きな病院で適切な施しを受けられないのではと思い、結局神経内科MRIに入ることになった。

 

しかしながら、私は閉所が得意ではないため、MRIに入ることに対して抵抗があり、夫に相談して一緒に来てもらうことに。心細かったので、本当にありがたかった。

 

医者にもその旨を伝えると、「大丈夫ですよ、金属さえ外してもらえれば旦那さんと一緒の部屋に入ってもらえます」とのこと。早速、「MRIの中は音が大きいので、ヘッドフォンか耳栓してもらいます」と言われ、「ぎゃーこわい!!」とビビってる中、有無を言わさず医者にヘッドフォンを耳にあてがわれ機械の中にウイーンと体が入っていった。

 

すると、ヘッドフォンからは天国に行くときに鳴るであろうハイパーリラクゼーション系クラシックが流れていたので、「いや、死ぬやん!!!」と黙って一人で爆笑し、「終わったら即旦那に伝えよ~」と思った。MRIからちょろっと出てる私の手を夫がつないでいてくれたので、とても安心した。本番までにギャーギャー騒ぐくせに、いざ本番になると割と涼しい顔をしているのはいつものことである。

 

会社の同僚から「あれめちゃくちゃうるさいよ!!」と聞いていたが、ここまでうるさいとは。MRIの中では、頭上に建設現場があるような感じ。ずっとギー!ガシャン!ビー!という大音量が約20分。夫はその間暇すぎて私の手のひらに「アヒル」とか私の好きな動物を文字で書いたり、足の裏をくすぐったりしていた。にも関わらず、ずーっと横になっていると次第に眠くなり、MRIの中で大爆睡をかました同僚の気持ちもわからんでもなかった。

 

肝心の診断結果は、大きな病気ではなく、コロナで生活習慣が大きく変わったことに起因するものであった。よかった。細かい原因まで教えてくださり、今日まで何かあったらと思っていたので、心底ほっとした。

 

しかしながら、それよりも重大なことがあり、私の脳の片側には普通ある太い血管がなく、通常より血流が悪いらしい。がーん。「まあ細い血管とかあるから支障は出てないけど、こっちの方が気になるから、来年もMRIの検査に来てね」とのことで、来年分の予約をして帰った。来年は一人で入れるといいけど。

 

帰りに、近くにあったタルトのお店でイチゴタルトを買って帰った。急にピンピンし始めたので、「病は気からもいいとこや!」と夫には指摘される。

 

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大きな病気ではなくてよかったけれど、この日本当に嬉しかったことは、忙しい夫が心配して、休みを取る手筈まで整えて病院までついてきてくれたこと。心細かっただけに、「一人じゃないなあ」と、夫の菩薩のような優しさが身に染みた。一体どんな風に育ったらこんな優しい人間になれるんだろう。

 

親に付き添ってくれたことを伝えると、「よかったね、お母さんより頼りになるね!」と、返事が来た。母はこのことがよほど嬉しかったらしく、夫にも感謝のLINEを送っていた。

 

私が夫に大切にされていることを、母親が喜んでくれることが、いつも嬉しい。結婚式が延期になり、夫が「ケーキカットだけでもしよう」と言って、ホールケーキを用意してドレスとスーツを着て家で写真を撮ったときも、母がLINEごしに涙ぐんでいるのが伝わってきた。

 

私は今まで、母にこういう喜ばれ方をされたことがなかったので、結婚以来、夫婦で旅行に行ったり、楽しそうにしている写真はできるだけ送るようにしている。夫が優しくて、いつも安心する。それを母が喜んでくれると、私もとても嬉しい。親孝行にこんな形もあるんだなと思う。

 

正直お金もかかったけれど、他の脳のリスクや夫という存在の心強さを再認識できたので、病院に行ってよかったなと思う。

 

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最近、この作品を見ていたく感動した。

 

to-ti.in

 

漫画家の町田洋(スカートのシリウスのジャケ描いたりしてる方と言えばわかるだろうか)が、大阪の堺筋本町にある船場センタービルの50周年企画で描いた漫画だ。依頼を受けた本人は鬱病を経た後であり、自身の鬱を通して船場センタービルを描いた作品になるのだが、とても素晴らしい。「もう通院の必要はない」と診断され、健康であるはずの自身の状態を、町田洋はこのように分析した。

 

「醤油を大量の水で薄めた感じ。でも、考えてみると、100%の透明な水でいることは、健康でいるときも難しいのかもしれない」

 

私は以前、このことを何度考え、時にはお守りにしただろうか。自律神経を完全にバグらせたときに、リハビリのつもりでこのブログを始めた。少量の醤油のことが気にならず、ほぼ透明な水、という状態になるまで、数年かかった。

 

料理をしようにも、手順を組み立てることができず、調理器具を持っただけで急なめまいがして何もできないなど、完全に普通ではなかった当時のことをいつか言葉にして残したいと思っていた。もうあの時の感覚も出来事も、ほとんど忘れているから。当時、街中で見る光景やテレビドラマの些細な人間模様の機微に涙することがとても多かった。ああ、きっとそれは、普通の日常が、いかに特別なのかを知る瞬間だったのだろう。そのときの感覚を思い出すようなシーンがこの漫画には結構ある。

 

わざわざツイッターやどこかに「書きました」と上げることはないだろうけれど、そのうち、当時のことをこっそり書こうと思う。自分でも、仕事やプライベートのあらゆることが原因で誰にでも起こりうることだと思っているのに、偏見のある人に読まれるのはまだ怖い。でも、「すぐ筆を執ろう」と、そういう気持ちにさせてくれるような作品だったんだ、これは。

 

ちなみにアニメーションバージョンもあり、とても良い。(漫画の方を読んでから読むとさらに良し)

水曜日のカンパネラコムアイの朗読がすごく合ってる。船場センタービル、久しぶりに行ってみようかな。

 

www.semba-center.com

天秤にかけるもの

やっと外に出ても咎められることはなくなったけれど、神経質な人、そうでない人、普通の人、いろんな価値観が渦巻いていて、今は外出が個人の判断に委ねられているのがかなり面倒臭い。同年代の同僚たちと会社で弁当を食べながら話していると、なんかまだ遊びに行ったりしちゃダメっぽい。でも、1対1で喋ったら「心斎橋に行った」と言っている子もいたので、みんな探り探りで、変にひんしゅくを買わないよう発言に気を使っているのかもしれない。正しさが試されるんだな。きもちわる。

 

自分の感覚的には、関西は落ち着いてるし、もう友達に会ってもいいと思うけれど、「相手の価値観によるよな」と思うとやっぱり誘いづらく、結局ずっと旦那と二人で外出するか、家でゴロゴロしている。バナナのパウンドケーキは何回作ったか数え切れない。

 

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実は私は社会人になってから、給料日を意識しなかったことが全くない。原因はたぶん、お金の使い過ぎ。給料日一週間前からマジの金欠で何もできなくなる。カレンダーにも毎月絶対「給料日」と書く。けれど、案外周りはそうでもないらしく「あ、給料日だっけ」とか言われると「それ正気?」と、かなり面食らう。

 

それが、自粛期間中は初めて給料日を意識しなかった。結婚してからおこづかい制で、自由に使える分がうんと減ったにも関わらず。

 

要は家にいればお金が貯まるということで、この金銭的な余裕にはものすごく安心した。いかに自分が土日出ずっぱりで金を使いまくっていたかも実感したし、工夫次第で家でも焼肉などの「外食っぽい食事」ができることもわかった。ネトフリで映画見てると「今のわたし、暇なんだな…」とおこもり恐怖症の私は不安になることもあったけれど、こう毎日やってると不安がすべて充実感に変わり、あつ森の島も随分と栄えて、要は一人遊びがとても得意になった。

 

だから、前ほど人と会わないとダメ、という感じではすっかりなくなってしまった。これからは土日の片方は家にいるような生活をしていきたいな~と思う。

 

ただ、最近になって、お金の使い道について、後ろめたいような、なんだかひどく罪悪感を感じるようになって、それがとても辛い。

 

自粛期間中は、お小遣いにも余裕があったので、旦那と一緒に、好きなライブハウスやお店にドネーションをした。自分にとって一番良い使い道だったと思う。

 

けれど、今は経済活動が少しずつ戻ってきて、好きな服を買ったり、割と自粛以前と同じようなお金の使い方ができるようになってきた。

 

例えば先日は、梅雨に入って髪型が最悪だったので、たまたま当選した半額クーポンをもって、行きつけの美容室でカット、カラー、高級トリートメントをした。少し小遣いに余裕があったのもあり、久しぶりに実家独身時代と同じような金の使い方をしたのだが。

 

でもこのお金も、ドネーションのために使うべきだったんじゃないかとか、そういうことを考えてしまい、罪悪感が残って気持ちよくお金が使えなくなってしまった。

 

好きな場所がなくなってから嘆いたって遅い。ライブハウスの新基準みたいなものもチラっと見て、ゲロ吐きそうになった。だからこそ、できることをしなければと思うが、私にも私の生活がある。他に好きなものもたくさんある。新婚旅行のお金だって貯めたい。

 

この「もっとドネーションしなければ」という罪悪感について、たまたまzoomをしていたいこさんに言ったら、「そういう人今多いよ。ていうか、悪いのは政府だからね」と言われて、初めてホッとした。結局個人が寄付できる額にだって限りがあるし、国の支援が一番手っ取り早いのもわかっているのだが、とてつもない罪悪感があるのだ。

 

職場でパンを買うにも、「売店のパンよりも、しばらく訪問販売できなかったであろう作業所さんのパンを買おう」と思ったり。別にこれに強迫観念もないし、よりよいお金の使い方をしているとは思うけれど、ただ先述の話も含め、「今欲しいものを買う」というシンプルな欲求に基づいてお金を落とす構造からは少し離れてきているような気がする。それがいかに清く正しく、健康的な在り方だったんだろうと、ものすごく悔しい。好きな店もライブハウスも、正しい形で商売をしたいに決まってる。一番もどかしいのは、私ではなく、店側だ。

 

 

そういったことを最近よく考える。私が髪を切りに行くことで、自粛期間に営業停止していた美容室だって助かっているのに、そういう風にはすぐに思えず、妙な苦しさがあるよ。

最近観たもの、聴いたものとか

在宅勤務の基本は、パジャマから着替えることらしい。なので、とりあえずスッキリを見ながら着替えてみるけれど、パジャマと仕事着の間になるような服がなく、結局Tシャツにジャージかステテコ。パジャマからパジャマに着替えているようで、外に出るのも気が引けるし、全く意味がない。某法案については、ツイートはなんとなく気が引けてしまい、自民党への投書と署名をした。

 

いろんな人がtwitterでおすすめしていた「ハーフ・オブ・イット」を観た。

www.netflix.com

本当に、本当によかった。よく笑った割に、観ている間にまた考え事をしすぎて、でもそのすべてに答えが出た。日々の嫉妬も寂しさも愛も、この映画なら、淀みのないあたたかな温度で、うまく溶け合うと思った。主人公のエリーが東京の友達にそっくりで、会いたくなった。

 

前半のコメディの部分と音楽が結構ツボで、大笑いする。何回も見たくなるので、今もテレビで流し見しながら書いているところ。「フランシス・ハ」や「きみの鳥はうたえる」を見たときも思ったけど、一時間半くらいの映画が一番見やすくていい。2時間を超える映画を最近観ていない。集中力がもたない…。

 

そして一昨日は三島由紀夫金閣寺を読み終わった。タイトルで気づいて当然なのに、しばらく読んでから「あれ、これ京都の話じゃん」と気付くくらい、私は金閣寺にゆかりがなかった。

 

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

 

ちなみに私は以前、金閣寺からすぐそばの立命館大学に通っていた。卒業前に「さすがに4年もここに通ってて、金閣寺に行ったことないのヤバいなー」と思って、ゼミの友達と一緒に見に行った記憶がある。そのあと、ついでにわら天神もハシゴした。安産祈願の神社らしいけれど、なにやら妊娠祈願のためにお供えされたと思われる、木で一生懸命削ったのであろう、手作りの原寸大おちん・・・男性器みたいなものがいくつか置かれている場所をみつけて、ものすごく気まずかったことを覚えている。懐かしい。まあそれくらい、金閣寺と言われてピンとこなかったってこと。京都市内の人たちの観光地に対する感覚もだいたい理解できるので、金閣寺に対して異常な美の執着を持つ主人公が舞鶴の方の出身というのは、とても説得力のある話だと思った。

 

あと、京都の地理もだいたいわかるので、なるほど主人公が童貞を捨てに向かった新地の五番町って、千本日活とかのあたりか!と、勉強になった。この記事もおもしろい。

 

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作中に出てくる場所が在学時に身近な場所ばかりで、マジでなんで今読んでるんだと後悔するばかり…。せっかくだし、次は水上勉の「五番町夕霧楼」読みたいなー。三島由紀夫は文体があんまり好きじゃないので、一緒に買った「潮騒」は後回しにしようと思う。ちなみに今は「蟹工船」を読んでいる。あーあ、今私が大学生だったらよかったのに。あの頃に戻って受けたい授業が腐るほどあるよ。

 

そして2か月待ちくらいで、やっとニトリからリビングに置く新しい棚が届いた。日焼けするのが嫌で、本は物置に収納していたんだけれど、せっかくなので最近読んだ本だけそこに並べてみた。とても気持ちいい!カフェでも人の家でも、並んでいる背表紙を見てどんな人が住んでいるのか想像するのが好きだ。そんな気持ちを少し思い出す。この一か月くらいで、6冊の本を読んだ。普段、一か月に1冊が関の山の自分には、ありえないペース。早く古本屋に行きたい!今は読書に熱を注いでいるので、こうやってリビングに並べると達成感があり、しばらく読んだものは並べていこうと思う。

 

音楽はbeabadoobeeばかり聴いている。

 


beabadoobee - She Plays Bass (Official Video)

 

大学のときにやってたバンドみたいな音だなと思い、懐かしさでいてもたってもいられなくなり、当時のバンドメンバー何人かにURLを送り付けた。「あなたが作りがちなコード進行だね」と言われた。

 

昨年末、大学のときに長い間付き合っていた人が病気で亡くなったらしい。このことを、もう半年近く毎日のように考えている。今、愛だの恋だの微塵もないが、私の人生で誰よりも影響を与えてくれた人だ。今私の周りにいる人たちのほとんどは、彼と出会えていなければ誰一人として会えなかっただろう。

 

果たしてあの人よりも、命を削るように音楽を聴いていた人はいるだろうか。音楽の外に張り付く薄い膜を、一枚一枚はがして、その本質をきちんと説明できる人がほかにいただろうか。彼がいなければ、私は、スピッツの楽曲が、変態性のあるものではなく、きれいでかわいい音楽だと思っていたかもしれない。大学からの帰り道、最近出た新譜の話をしながら、毎日立命から一時間近くかけて京都駅に着く50番の市バスに乗っても、尽きることはなかった。当時はウィルコムというものがあったので、帰宅してもなお、それを使って音楽の話をした。彼はのちに音楽ライターになり、あるインディー雑誌の編集後記にはスペシャルサンクスとして私の名前が載っていた。

 

彼が教えてくれた音楽の中で最も響いたものが、私のような自意識の強い日陰者にとてつもなく優しい、へろへろな音楽だった。私は今でも、辛いことがあると、あの人が「こんなに優しいタイトルはほかにないよ」と言った、PAVEMENTの「Brighten the Corners」を聴く。

 

だから、いつの間にか自分のフェイバリットになったインディーでローファイな音を聴くと、市バスの中で一生懸命音楽を聴いていたあの頃を思い出す。Beabadoobeeはそういう音楽だ。

 

たまたまiphoneで聴いているとき、「あれ?シャッフルでPAVEMENTでもかかったのかな」と思ったら、この曲だった。タイトルを見て、涙が流れた。

 


Beabadoobee - I Wish I Was Stephen Malkmus (Space Cadet Sessions)

 

ギターがなかなか上達せず、弾くのが嫌で仕方がなかったときに彼は言った。

 

「スティーブン・マルクマスだってギター下手やん。でも、どの曲も最高に良い。音楽は、上手いとか下手とかじゃない。楽器持ったら誰だってできる、それがバンドのいいところやろ。やるかやらないか、それだけ。」

 

そう言われて納得した私は、自分にだってできるはずだと、一から人を集めてバンドを始めた。コピーじゃなくて、オリジナルバンドで。誰かの曲をコピーする時は技術がすべてになるけど、オリジナルだったら、PAVEMENTみたいに曲の良さで勝負できると思い、一生懸命曲を作った。

 

バンド活動は、苦しくて苦しくて苦しくて、でも何よりもきらきら輝いて汚れなく眩しい、遅めの青春時代だった。彼の後押しがなかったら、卑屈な私がこんな挑戦なんかできなかっただろう。

 

…人が生きる意味について、ずっと考えている。

 

好奇心と探究心の中に渦巻く自尊心を、すべての行動の糧にしたっていい。わかる人にしかわからなくていい。たとえ哀れでも、もうそこにいなくても、それだけは、私だけは、決して否定しないぞと、毎日決意する。あんたがいなくなって、私ができることなんかそれくらいしかないよ。