天秤にかけるもの

やっと外に出ても咎められることはなくなったけれど、神経質な人、そうでない人、普通の人、いろんな価値観が渦巻いていて、今は外出が個人の判断に委ねられているのがかなり面倒臭い。同年代の同僚たちと会社で弁当を食べながら話していると、なんかまだ遊びに行ったりしちゃダメっぽい。でも、1対1で喋ったら「心斎橋に行った」と言っている子もいたので、みんな探り探りで、変にひんしゅくを買わないよう発言に気を使っているのかもしれない。正しさが試されるんだな。きもちわる。

 

自分の感覚的には、関西は落ち着いてるし、もう友達に会ってもいいと思うけれど、「相手の価値観によるよな」と思うとやっぱり誘いづらく、結局ずっと旦那と二人で外出するか、家でゴロゴロしている。バナナのパウンドケーキは何回作ったか数え切れない。

 

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実は私は社会人になってから、給料日を意識しなかったことが全くない。原因はたぶん、お金の使い過ぎ。給料日一週間前からマジの金欠で何もできなくなる。カレンダーにも毎月絶対「給料日」と書く。けれど、案外周りはそうでもないらしく「あ、給料日だっけ」とか言われると「それ正気?」と、かなり面食らう。

 

それが、自粛期間中は初めて給料日を意識しなかった。結婚してからおこづかい制で、自由に使える分がうんと減ったにも関わらず。

 

要は家にいればお金が貯まるということで、この金銭的な余裕にはものすごく安心した。いかに自分が土日出ずっぱりで金を使いまくっていたかも実感したし、工夫次第で家でも焼肉などの「外食っぽい食事」ができることもわかった。ネトフリで映画見てると「今のわたし、暇なんだな…」とおこもり恐怖症の私は不安になることもあったけれど、こう毎日やってると不安がすべて充実感に変わり、あつ森の島も随分と栄えて、要は一人遊びがとても得意になった。

 

だから、前ほど人と会わないとダメ、という感じではすっかりなくなってしまった。これからは土日の片方は家にいるような生活をしていきたいな~と思う。

 

ただ、最近になって、お金の使い道について、後ろめたいような、なんだかひどく罪悪感を感じるようになって、それがとても辛い。

 

自粛期間中は、お小遣いにも余裕があったので、旦那と一緒に、好きなライブハウスやお店にドネーションをした。自分にとって一番良い使い道だったと思う。

 

けれど、今は経済活動が少しずつ戻ってきて、好きな服を買ったり、割と自粛以前と同じようなお金の使い方ができるようになってきた。

 

例えば先日は、梅雨に入って髪型が最悪だったので、たまたま当選した半額クーポンをもって、行きつけの美容室でカット、カラー、高級トリートメントをした。少し小遣いに余裕があったのもあり、久しぶりに実家独身時代と同じような金の使い方をしたのだが。

 

でもこのお金も、ドネーションのために使うべきだったんじゃないかとか、そういうことを考えてしまい、罪悪感が残って気持ちよくお金が使えなくなってしまった。

 

好きな場所がなくなってから嘆いたって遅い。ライブハウスの新基準みたいなものもチラっと見て、ゲロ吐きそうになった。だからこそ、できることをしなければと思うが、私にも私の生活がある。他に好きなものもたくさんある。新婚旅行のお金だって貯めたい。

 

この「もっとドネーションしなければ」という罪悪感について、たまたまzoomをしていたいこさんに言ったら、「そういう人今多いよ。ていうか、悪いのは政府だからね」と言われて、初めてホッとした。結局個人が寄付できる額にだって限りがあるし、国の支援が一番手っ取り早いのもわかっているのだが、とてつもない罪悪感があるのだ。

 

職場でパンを買うにも、「売店のパンよりも、しばらく訪問販売できなかったであろう作業所さんのパンを買おう」と思ったり。別にこれに強迫観念もないし、よりよいお金の使い方をしているとは思うけれど、ただ先述の話も含め、「今欲しいものを買う」というシンプルな欲求に基づいてお金を落とす構造からは少し離れてきているような気がする。それがいかに清く正しく、健康的な在り方だったんだろうと、ものすごく悔しい。好きな店もライブハウスも、正しい形で商売をしたいに決まってる。一番もどかしいのは、私ではなく、店側だ。

 

 

そういったことを最近よく考える。私が髪を切りに行くことで、自粛期間に営業停止していた美容室だって助かっているのに、そういう風にはすぐに思えず、妙な苦しさがあるよ。