エスパー/ミツメ

なんだか変なお菓子のパッケージや、不思議な曲のタイトルを見かけると、「たぶんあの人はきっとこんな風に例えるだろうなあ」と想像がつく。そしてその予想はだいたい当たる。そのたびに「やっぱり」と、相手を知っている優越感に心が満たされる。今思えば、それをエスパーやテレパシーだと例えることもできただろうか。

吉本新喜劇みたいに、毎話全く同じ掛け合いがいつまでもマンネリ化せず楽しいのは、なぜだろう。噛みすぎたガムみたいに、味がしなくなるなんてことがなくて、いつまでも甘美なのは、なぜだろう。恋人でも友人でも、関係が深ければ深いほど、こんな風に思うことがある。「お互いのことを知っている楽しさ」がいつの間にか共通言語を生み、二人の世界を作っていくのだろうと思う。出会った頃や、何年も前の旅先での話を、何度でも掘り起こしながら。

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 昨年末、ミツメのエスパーがいいねという話になったとき、友人から「恋人と長く一緒にいて、だいたいのことわかっちゃって、つまんないなって曲だと思う」というようなことを言われた。すぐさま「えっ、それってつまんないですか?」と思わず返事をしてしまったのは、私は前述のように通じ合う楽しさを、恋人同士の付き合いの中で、何よりも幸せに感じてきたからだ。でも、この曲をじっくり何度も聴きながら、そういえばお互いを深く知ることで齎されるのは、どんな関係であろうと、幸せだけじゃないなと、久々に考えたのだった。

エスパー」は、長い間付き合っている恋人同士の曲であり、この曲には二本の時間軸がある。「名前を書いて消していた頃みたいに」と例えられる付き合いはじめの頃と、もう一つは、付き合って何年も経ち、関係が落ち着いた今だ。

最初は、好きな食べ物とか、なんでもいいから知っていくことにワクワクするだろう。次第に軽口が叩けるようになり始めた頃、相手がどんなことで怒るのかを知らなくて、ふとした言葉で傷つけたり、逆に傷つけられることもある。そんなとき、テレパシーでもあればと、きっと思ったことだろう。

だが、この曲には、一つ矛盾がある。1番のサビ前では、「テレパシー目と目で通じ合えたなら 思うだけのただの二人」と、互いに理解しきれていない前述のような状況を嘆いているにも関わらず、2番では、昔と比較して「変わらずそのまま通じ合えたなら」と歌っている点だ。つまり、付き合った当初に通じ合えていなかったことを嘆いていたはずなのに、「変わらずそのまま」では、当初こそ通じ合えていたことになってしまう。

この歌詞の矛盾の理由は、時が経ち、互いを知りすぎたことで抱える問題の大きさを想うと、テレパシーが欲しいと思っていた手探りのあの頃すら分かり合えていたように思えている、ということなのだろう。

互いを知りすぎることによって、二人の問題が複雑になってしまうことは往々にしてある。知りすぎると、同じ行き止まりに何度も出会うことにもなるから。知っていることが諦めに繋がるときの、良からぬ空気をこの曲の中で感じる。

そんな風に、時間が経って、二人の間のエスパーの在り方が変わっていく経験が、たくさんの人にあるのではないだろうか。じゃあ、なんで一緒にいるのか?エスパーが齎す安心感も、もちろんあるからだ。知っていることが、一緒にいる理由でもある。知りすぎているからこそ叩ききれない扉もあれば、知られているからこそとびきり楽しいこともたくさんある。まさに、文頭で述べた例えのように。

二人の毎日は、これからも続いていく。サイケな音の響きが二人の末路をうやむやにしながら、不安を抱えつつも楽しい日々がなんとなく続いてく。曲が醸し出す結論を求めない浮遊感が、リアリティに追い打ちをかけるようで、切ない。でも、こんなものなのかな、とも思う。誰かと深く、深く、一緒にいることなんて。

 

エスパー

エスパー

 

 

 

日記(2018.2.3〜4)

最近は、流れに身を任せながら生きている。
少し先週の日記。

土曜日。
昨年の今頃、複数の同じ悩みを抱えて、コメダ珈琲で泣いたり笑ったりしながら一緒に転職活動をしていた友達と、いつも通りコメダ珈琲へ。昨年の春に転職に成功したはずの彼女は、来月で仕事を辞めるつもりだと言った。彼女はとても頑張り屋で、辞めるのには、やはりよっぽどの理由がある。同じ職場で長い時間働くことの難しさを思う。自分の体と心の方を優先すべきだ。

「やりがいのあるところで働きたいよなあ」と二人して嘆いていたのが昨年冬。話す内容がまた一巡して、同じようなことをコメダ珈琲で相談している。彼女はまた職を失い、私は結局転職できず今の会社にいる。

でも彼女は1年かけて厳しい環境に身を置き、一定の経験値を手に入れた。一方私はというと、転職に関して重い腰をどんどん上げられなくなったとはいえ、いろんなことがどうでもよくなり、仕事以外の部分ではどんどん輝いてもいる。変わっていないようで、大きく大きく変わっている。堂々巡りなんかじゃない。そのことを絶対に履き違えないようにしたい。


日曜日。
友達と、河原町へモーニングを食べに行く。
はてブのレビューでみつけて、絶対行きたい!と思っていた「回廊」のモーニングなのだが、10:30時点で売り切れ。じゃあ別のモーニング…ということで、久々にスマート珈琲へ。

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パンケーキ自体は烏丸御池にあるフクミミのパンケーキモーニングがダントツで好きなんだけど、スマート珈琲のロゴの感じとか、絵本のようなパンケーキの見た目とか、やっぱりテンション上がるよね。バターも超おいしい。その後、藤井大丸のセカロイポップアップショップに行くなど。カバン買った。大学の時もセカロイバッグ使ってたなー。

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途中で、アウトドアファッションがしたいんだという弟と合流して、買い物に付き合う。結局パタゴニアでお目当てのものがみつからず、寺町のロフトマンに連れて行ったら「おしゃれすぎて俺には無理だ」と言って、代わりに大きな肩幅に合うシャツをリーバイスで買っていた。身の丈に合うものを、自分のペースで。それがいいよな。

弟と出かけると、なんとなく、必ず家族土産を買って帰る。ノースフェイスの路面店あたりをウロウロしていて、たまたま見かけた六角のwalderというパン屋でパンを買った。家に帰って調べたらすごい人気店でびっくりした。

ワルダー( Walder )

ぐるなびワルダー( Walder )

弟と二人で行動すると、必ずその先に父と母を意識した選択肢が現れるのはなんでなんだろう。一緒に野球の試合を観に行っても、父に新井のストラップとか、おみやげを買って帰る。不思議だ。一人で行ったら、そんなこと絶対しないのに。

夜は、仲の良い女友達が、恋人を紹介してくれて、とても嬉しかった。華やかな友達の新しい彼は元プロのスポーツ選手で、ガタイもむちゃくちゃ良い。やんちゃな人が乗ってそうな黒くていかついjeepを運転し、友達と一緒に家まで迎えに来てくれて、車内では湘南乃風三木道三を足して2で割ったような曲がずっと流れていた。きっと私の好きな野球選手とかって、プライベートはこんな感じなんだろうな。カープの話がたくさんできて楽しかったけれど、やっぱり私はスポーツマンよりも、大好きなウルトラマンの話をしているときの博多大吉が好きだな…と思った。


最近よく思うこと。

私はホットヨガを始めてから毎日のお弁当がほとんど作れなくなった。何か始めた分何かがおろそかになり、人間のキャパシティには限界があることを日々痛感する。たぶん、HP92とか、一人一人細かい数字まできっちり気力と体力が割り振られていると思う。

私は音楽の歌詞を意識しながら聴くのが好きで、ここ数年は邦楽の歌詞をじっくり聴きながら一曲一曲を時間をかけて楽しみたいという想いが強い。だけど、野球に熱を注ぐようになってから、かすかに残っていた「新しい音楽を聴きたい」という想いがどんどん削がれ、今じゃほとんど洋楽の新譜がわからない。

私の周りには、自分が知らないことが恥ずかしいと思う程、いろんなサブカルチャーに詳しい友達が本当にたくさんいるので、最近すべてに中途半端な私は、なんだか肩身が狭い。かと思いきや、野球や、化粧品や、新しい物事に興味があって、大きく世界が広がっていくのを感じるのも確かだ。そんな風に、最近は「寂しい」と「超楽しい」が順番にやってくるので、ちょっと疲れ気味。結論、楽しいの方が上なんだけどね。新しく世界が広がるのが楽しくて、初対面の人と話すのも、全然苦じゃなくなったし。

だから、日曜にスマート珈琲でした、最近読んだ漫画とか音楽の話が、すごく楽しかった。いろんなことを知っている前提じゃなくて、最近純粋に楽しかったものの話をするのは、構えなくていいから気楽だなあと思う。好きなものの話をしているときの人の顔はすごくいいし、かわいい。なんにせよ、今年は去年よりも音楽を聴くことを目標の一つにしたいです。

映画「勝手にふるえてろ」感想 -本当はこんな風に怒ってみたかった-

友達に誘われて観に行った「勝手にふるえてろ」。
昨年末に観てから、今もなお映画にまつわるいろんなことを考えてしまっている。以下、感想ネタバレです。ご注意ください。

 

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映画を終わった瞬間、私は興奮で震えていた。そして、近くの席の女の子たちが口々に「松岡茉優かわいかったねー」と話しているのを見て、「ちーがーうーだーろー!!!」と叫びかけた。いや、確かに松岡茉優はむっちゃくちゃ可愛かった!!!映画やドラマを見て初めて「この人と同じ服を着たい」と本気で思ったくらい。(今も細々と探してます。ご存知の方いれば教えてください。)

でもそれよりも、心の奥底でふるえて止まらない感情が、小刻みに指の先まで到達していた。エンドロールを観終わるやいなや「今すぐカフェでこの映画の話をしよう」と隣の友人を誘い、散々感想を話し合った。それでも気持ちが止まらなくて、最終的にカラオケに行った。なんだか大きな声を出したくてたまらなかったのだ。私はJUDY AND MARYを歌いまくっていたが、rage against the machineを歌えたら、もっとよかったな。空耳アワー等の小ネタも抜群でした。

「脳内の彼か、現実の彼か」。
ヨシカの10年間の片想いにはバチバチに共感し、個人的すぎてネットでは晒せないようなたくさんのエピソードが脳内を駆け巡った。けれど、私が一番共感したのは、物語の後半、ヨシカ(松岡茉優)と二(渡辺大知)がうまくいってほしいという想いで、来留美石橋杏奈)が、二にヨシカが処女であるという秘密をばらしたことがばれてしまうシーンだ。

たった一人の友達、来留美が他の人に秘密をばらしたことも腹が立つ。でもこの怒りは、そんな単純なことじゃない。ヨシカが怒っているのは、大切な友達に「処女であるという最大の秘密が、心配してアドバイスとして二に伝えなくちゃいけないと思う程、恥ずかしいこと」だと思われたことだ。

一緒に観た友人は「響く人と、全く響かない人に別れて、まるでリトマス試験紙みたいな映画みたいだよね。」と言っていた。この作品には、いくつもウワァ…と胃の中に石が放り込まれているような気分になるシーンがあったけれど、私の心のリトマス試験紙が真っ赤に染まりきったのは、このシーン。

自信なさげな人生を送ってきた人なら、この「お前も本当は笑ってるんじゃないのか」というドロドロにヌメりまくったどす黒い気持ちに身に覚えがあるのではないだろうか。来留美の空気の読めない優しさは、「きっとヨシカとは違った明るいところで生きてきた人間なのだろうな」と感じさせる点でもあった。

悲しいことに、ヨシカ級のこの面倒臭さが自分にもある。
実際に、昨年、私が内心とても気にしていることに関して、母親が外で来留美のような気遣いをしているのを友人から聞き、笑い話だと思って話してきた友人がびっくりするくらいファミレスで泣いてしまった。

詳細は割愛するが、笑って済むようなことなのに、「母親も私のことかわいそうって思ってたんだ」なんて、あまりに卑屈な脳内変換をしていることは、痛いほどわかっていた。情けないと同時に笑い話だと思って話してくれた友人を傷つけたくなくて、「ごめん、就活が忙しくて疲れてたみたい」と、全く脈絡のない理由をこじつけてその場を乗り切った。最低限フォローをしたことは正しかったと本気で思うけれど、友人には、悪いことをしたなあと今でも後悔している。

でも、普通はこうやって「泣いちゃダメ」と無理やり沈下させるであろうこの情けない怒りを、ヨシカはおもいっきり声に出して、爆発させるのだ。
「えっ、まじでほんとに言っちゃうの?」という後半のヨシカのスピード感、変な汗がでつつも、爽快感がすごい!

処女であることを笑われるのであれば、「妊娠したので産休ください。」と真逆の嘘をつき、無理やり産休届を提出。「昨日からどんどん出てきちゃうんだよね、心の声が」と、オフィスで本音を叫ぶ。自分には絶対に勇気が足りずにできない超あてつけ自己満の復讐劇を、ヨシカがぜーんぶ映画の中でやりきっていたのだ。

松岡茉優が「現実では叫べないことも、映画なので全部ヨシカが叫んでくれます。辛くなったときに見ると元気が出ると思う」というようなことを舞台挨拶で実際に言っていたらしい。とっても嬉しい。私にとっては、まさにそういう映画だ。

このヨシカ爆発!のシーンのくだりは、早口のセリフも秀逸で、二回目に観に行ったときはたくさんの男性客が笑っていた。カバンを叩いて笑っている人すらいた。でも、そんなに面白いかな。面白いけど、私にはもっと真に迫るものがあり、ヨシカの怒りが体にビシビシ伝わってきて、笑うことなんかできなかった。女性客の笑い声が全く聞こえなかったのが印象的だった。

人生で何度も遭遇したすっごく悔しい瞬間の選択で、自分が選ばなかった方の未来を選択したのがヨシカ。TPO全く無視して会社でいい散らかすヨシカを、オーディエンスとして一番気持ちのよい距離感で見守ることができたな、と思う。

それと同時に、やっぱりヨシカみたいなやり方は良くないし、曲解なんかせずまっすぐ素直に言葉を受け止めていきたいなと、改めて思う。でもでも、それでもやっぱり傷ついてしまったとき、ヨシカが代わりに爆発してくれるという、ある意味、私にとってお守りのような映画になった。「一歩間違ってたら完全にこうなってた」というパラレルワールドのような話なんだなあ。

反面教師であり、オタク女子が最も共感できるヒロイン、ヨシカ。
窒息死しそうな「わかる~」も、斧でぶった切るような「ッシャー!」という爽快感も兼ねそろえた、最高のヒロイン。二と今後幸せになれることを祈るばかりだ!
そして渡辺大知くん、演技が良すぎて、おもいっきりファンになってしまった。私は銀杏ボーイズが大好きで、昔映画の色即ぜねれいしょんのエキストラ出演したことがあるのだけれど、そのとき実際に観た初々しい演技とは違った良さがあって、こんな大化けするなんて思ってもみなかった…。

どうかこれから、二のまっすぐな愛を受けて、ヨシカは卑屈の皮を脱いで歩いていってくれ!その方が、きっとかわいい。私だってヨシカに負けないぞ!かわいくなりたい!

小ネタだけど、ドラマのコウノドリの役柄では師弟関係の厳しかった古舘寛治松岡茉優が釣り人とOLに扮しており、楽しくてかわいい掛け合いが最高でした。ミラクルなキャスティング!

日記(2018.1.12)

年末に引いた風邪が治らない。咳と鼻水がひどく、同じ部屋の人たちにも申し訳なくて、会社を休んでも比較的迷惑のかからない今日を選んで休みを取った。昨日の夜早めに寝て、朝遅くに起きて、それから二度寝ようとベッドに潜り込んでいるけれど眠れない。ぶっちゃけ暇だ。寝なきゃいつまで経っても治らない気がしてすごく嫌だ。negiccoを聴いていたら、気持ちだけ余計に元気になってしまったので、積み上げてまだ読んでいない漫画でも読もうかと思う。それか、年末のM-1の録画でも見ようかな。そういえば、関西出身でない友達が「関西に来てM-1への熱意の入り方が異常で驚いた」と言っていた。確かに自分にとっても冬の風物詩だし、観ないとみんなの会話についていけないくらいのポジションにある番組で、なるほどこれも地域性なのかと思う。

 今日の午前中は、先日見逃した、広瀬すず主演のanoneを観た。カルテットの坂元裕二脚本なのが気になって観てるけど、暗くてあんまり次見ようかなという気にもならず、とりあえず最高の離婚を観るほうが先なのか…?と思った。紅白の安室ちゃんの録画もついでに見たけど、これは感動しすぎて自然と涙が出た。安室ちゃんは信じられないほど可愛い、見ているだけで気持ちがざわつく!あんな風に顔が整っていたら、もう何するのも楽しいだろうなと思う。

 午後は、思い出したようにやわらかスピリッツプリンセスメゾンの最新話を読んだ。

やわらかスピリッツ - プリンセスメゾン

 ずっとコミックス派だったので連載をネットで見ないようにしていたんだけど、それ以上に漫画が好きすぎて「漫画は紙であるべき」って気持ちが大きかったのかも。

最近ドラマは見逃し配信のTVerを使ってiPad(のau版みたいなやつ)で見ていたり、配信で見ることに抵抗が少なくなって、プリンセスメゾンもここ3話くらいはネットで読んでいる。今回の話もよかったー。感想を書くならちゃんとレビュー的な記事を、と思っているので、さらっとだけど、私は受付の2人に一番感情移入するなと、読むたび思う。それぞれの寂しさに「女であること」という要素が加わった話に、どうも揺さぶられる。直接的な言葉のない行間を読ませる池辺葵の手法で描かれたシーンの一つ一つに「その気持ちわかるよ」と思うたび、秘密を共有したような気持ちになる。だから、プリンセスメゾンが好きだ。

2ヶ月間逆流性食道炎に苦しみ、4キロ痩せた。意図せず自分の理想体重だと思っていた体重より痩せることとなり、「痩せの向こう側」に足を踏み入れている。だからと言って全然ガリガリとかではないけれど、服を着るのが急に楽しくなった。私は元々顔に肉がつきやすく、あんなに輪郭を気にしていたのに、今は髪をあげても怖くない。今回綺麗に痩せたのは、週3でホットヨガに通い、筋肉がついたのもあるんだと思う。今はタンクトップのトレーニングウェアを着るのもなんだか快感だ。

好きなアイドルの写真を見ながら「今の私がこれくらいだから、この子は◯キロくらいだろう」と見当がつくようになった。そこまであと約2キロ…。夏までに痩せたいけれど、元々食べるのが大好きなぶん、なかなか難しい。でも無理せず頑張りたいな。

逆流性食道炎が辛すぎて、食べ物を食べてから1時間以内に横にならないと決めて、おやつを断念することが増えたのは本当にいい傾向だとは思う。

 

そろそろまた眠る努力をしようかな。

濡れマスク、超いいです。はやく元気になりたい。

あけましておめでとう

年が明けた。

三が日は、元旦の0時を指した瞬間から、どこにいても空気が冷たく澄んで、正月のテレビ番組を見ていてもマイナスイオンみたいなのがバーッと飛んできて「ねえ今年はどうするの」と急き立てられてる気持ちになるのがすごく嫌で、師走から想像しただけでも憂鬱だった。小さい頃から毎年、ずーっと。

でも、今年は、ちっとも空気が冷たくならない。おせちを食べても謎のマイナスイオンが飛んでこない。こんなこと人生で初めてで、とてもびっくりしている。風邪で2日くらい無駄にしちゃったけど、気がついたら正月休みもあと1日しかない。 

年末ははじめて家族以外の人と、つまりはいつもの友達と、烏丸御池のみながわで年越しそばを食べた。

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 ニシンがついてるのが京都っぽい!

 そして今日は友達の家ですき焼き。お肉が大きい!

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今日もまた友達が増えて、幸先がいいなと感じるばかりです。

 

今年の目標は…えーと、考えるのがもうめんどくさい!!笑

とりあえず、楽しくて健康な一年を!そして可愛くなる努力を怠らないことを誓い、たい、いや、誓います!

ランコムの春限定アイシャドーパレットと、ミラクのブロッサムの香水を早めの自分への誕生日プレゼントに買いましたので。よ、よっしゃー!がんばる!百貨店の化粧品ほど高まるもんはない。

今年もよろしくお願い致します(^^)

2017年を振り返って

2017年も暮れに近づき、意味を持って過ごしたこの一年だけは、何があっても言葉にまとめておかなければならないと思う。

最近椎名林檎の活躍ぶりに胸を打たれる。「人生は夢だらけ」を聴いただろうか。


椎名林檎 – 人生は夢だらけ

高校生のとき、無罪モラトリアム勝訴ストリップを、それはもうよく聴いた。この人にしかできない何かが圧倒的な色を持って曲に張り付いていたし、尖った10代の感性に魅力的でない訳がなかった。

けれど、その才能を持って、最近の椎名林檎がやろうとしていることは、自己表現だけではなく「この国に生きる大勢の誰かの幸せ」のためであるように思う。
だからといって単に大衆的という言葉からは程遠い気がするのは、曲の中に個性だけでなく、とても丁寧に上品さが含まれているからだと思う。彼女はユニクロの高級品ではない。

Yahoo!で特集されていたこの記事を読んで、余計にそう思う。

 

news.yahoo.co.jp

 

そういうことを考えながら、NHKの2014年度サッカー放送のテーマ音楽として起用されたNIPPONを聴くと、改めて圧倒される。


椎名林檎 - NIPPON

リオ五輪の閉会式だって、当時見たときは「こんな感動を齎すことのできる人間が日本にいるのか」と、衝撃を受けた。
日本はどういう国で、日本人がどんなことを考えていて、どういうところが素晴らしいのか。考えては彼女なりの方法で咀嚼されており、私は多くの彼女の作品の先に「大勢の誰かを幸せに、元気にさせたい」という熱量を感じるようになる。「人生は夢だらけ」は、クリエイターとしての椎名林檎の想いを知るような歌詞だ。

「人を元気にするもの」が誰しもにとって同じでは決してないけれど、たくさんの人に支持されるものは、当然ながら良いものが多いに決まってるのだ。スターウォーズも、SMAPも、ダウンタウンも。

そういう想いで、私は今年、自然とサブカルチャーから少し離れていた。
だって私は、昨年一度壊れ切ってから、どうしても、どうしても、元気になりたかったのだ。

サブカル批判をしたいのではない。なんとなく、ずっとメインカルチャーを遠ざけていたから、恥ずかしながら、みんなが知っている面白いものを知らずにいたと思う。「変わりたい」「元気になりたい」そういう欲求のおかげで、今年面白いものにたくさん巡り合えた。

だから、自分が今年とても大切にしてきた「みんなに愛されるものは、きっといいもののはず」という気持ちと、それらによって健康で楽しい日々を送る自分を想うと…椎名林檎の前述のような活躍は、私にとって、とても胸を打つものがある。

 

■好きなことをして、自分と向き合った2017年

先に述べたとおり、今年はいろんなことを楽しめた。
野球観戦も、登山も、ボードゲームも、野外フェスも、アウトドアも、多国籍料理も、ブログも、お笑いも、テレビドラマも、数えきれないくらい、たくさん!!去年できなくなったいろんなことを取り戻すつもりで、全部楽しんだ。

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私は「この一年間」とか「昨年」という言葉をよく使うが、何度もブログに書いているように、心と体のバランスを完全に崩し、何もできなくなった昨年秋からの一年のことを指している。本気で息の仕方がわからなくなって、外に出るのが怖かった。よく漫画で「あのとき俺は一回死んでるから…」なんて使い古したクサーいセリフがあるけれど、自分にそういうタイミングがあるとすれば、このときだろうと思う。それから自分の変化を、一年間ずーっと見てきて、人生で今の自分が一番好きだと言える。まあ、私はいつだって今が最高なんだけど、そうも言えない時期もあったのだ。

「元気になるには、今の自分のままじゃだめだ」と、一度バラバラになったパズルのピースを、全く新しい別の額縁にはめ直していくつもりで、ゆっくり自分の再構築を目指した一年に、心の奥底から意味があった。正しい形で、他人よりも、自分のことを最優先できるようになってきたからだ。

その一年を支えてくれたカープに感謝するつもりで書いた記事は、たくさんの人に読んでもらえた。twitterでは知らない人から突然コメントがくることもあった。「泣けた」とか「自分も父親と野球観に行こうかな」なんていう言葉をいただくと、自伝的な内容だったから、より不思議な気持ちになった。

 

mkkm1229.hatenablog.com

 

日記ではなく、「誰かに読んでもらうことを大前提にした記事」に反響があるのは嬉しい。ブログを始めて、こういう文章を書く人なんだと名刺代わりになったこともよかった。この記事のおかげで、2016年暮れの「自分なりのアウトプットがしたい」という想いをちゃんと達成できたのだった。

そういえば、この記事を書いた日は、石井ゆかり曰く「みずがめ座が最強に運の良い1日とされる10/10」だったのに、なーーんにも起こらなかった。「だったら10/10を自分で動かしてみよう」と思って、4か月近くしたためた文章を投稿したのだった。

結果、たくさんのレスポンスをいただいて、充実した一日になったことも、忘れられないのだ。自分には、他愛ない一日を動かす力も、人の心を動かす力も、ちゃんとあるんだと思った。


■背中を押してくれたJUDY AND MARY

解散から15年、今更ながらむっちゃくちゃハマってしまった。
ジュディマリが解散したのは私が小学生の頃で、世代からは外れていて、有名な曲しか知らなかったのだけど。TAKUYAの実家が経営するカフェにわざわざ出向いたり、当時のDVDを見たり、ファンブックを借りたり、完全にバンドとしてハマっていた。かっこよすぎる演奏、メンバー、すべてが愛おしい!古いファンサイトにも足跡をつけまくっていた。

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YUKIは風のようだ」と何度思っただろう。
YUKIの歌詞は「誰に咎められようと関係ない、自分らしく生きていく」そんな性格が出ていて、曲を聴くたびハッとした。何にもとらわれず、人よりも数歩先を颯爽と歩くYUKIみたいになりたくて、私はこの一年、ジュディマリを聴きながらずっと、ずっとYUKIを追いかけていた。YUKIに会いたかったから、フジロックにも行った。おしゃれで可愛いYUKIのファンの女の子に囲まれながら、泥だらけで汗まみれの私は、声にならない声で泣いていた。YUKIはとても可愛かった。

ジュディマリを聴きながら歩くと、実際の歩幅よりも大きく、速く歩ける気がした。


JUDY & MARY WARP TOUR FINAL ~part 10~ ラッキープール

 逆に、後ろ向きな曲を聴くと「YUKIでもそんなこと思うんだ」と元気が出た。
「あなたは生きている」なんか、まさにそうだ。


『あなたは生きている』:JUDY AND MARY 1996/ LIVE

サビの「ぐるぐるに廻る頭の隅で飛べない鳥は祈りを忘れず」のところなんて、今までの私のYUKIに対する頭が悪そうな(失礼)イメージを吹っ飛ばすような文学的な歌詞で、そういう抜群のライティングのセンスにもドキドキした。

以前、ブログのタイトルにもして、何度も聴いては背中を押してくれた「風に吹かれて」には、本当に救われた。この曲に出会ってから、私は自分の足元を見て歩くことができるようになった。


Judy And Mary 風に吹かれて Warp Tour Final Live

もし生まれ変わって 違う私でも
永遠に銀河の風に吹かれて…

こんな自分じゃなきゃよかったのにと、失ったものを眺めては何度も責めていたけれど、迷っても転んでも、果ては生まれ変わっても、このままの自分でいいんだと、この歌を聴いてやっと思うことができた。

夢中になりたいから 人を好きになるから
忘れてゆくもの 捨ててゆくもの 私が信じたもの

YUKIは、私があのとき置いていったたくさんの人やものも、「私が信じたもの」と言ってくれた。捨てていくものはどれもこれも、いらないものな訳じゃないと、むしろとびきり大切なものばかりだったことを、ちゃんと認めさせてくれたのだった。ずっと、いろんな人間関係を「私には必要なかったものだから」と無理やり思わなければいけないような気がしていた。全然、そんなことなかったのだ、ただのひとつも。

今年大ハマりしたドラマ「カルテット」のすずめちゃんの言葉もそう。

行った旅行も思い出になるけど、
行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか

私はこの言葉のおかげで、人からのお誘いを断れるようになった。

女の子付き合いの中で、「大切にする」というのはどうしても食事への参加率とかそういうのが影響してくる。でも元々私は女子の団体行動が得意ではなく、苦しいことが多かった。「でも嫌いなわけじゃないし一人一人のことは好きだから」と相当気を奮わせてグループに参加していたのだが、この言葉を聞いてから、そういうのをやめた。

なんだか「行かなくても思い出になるのなら、行くのも行かないのも一緒じゃん」と思えてきたから。行かないからって、大切じゃない訳でもない。

そういえば、このことを考えるとき、思い出すことがある。
ボロフェスタという音楽フェスのスタッフをやっていたのだけれど、私は機材担当を任されて、「今からフェスで使う機材を扱うのはハードルが高すぎる」と不安になっていたら、主催者の一人に「バンドやったことある人は、アンプをある程度雑に扱えるやろ?触ったことのない人にはそれができない。だから君はそれで充分」と言われた。確かにその通りだなと思った。

友達や恋人付き合いもそうなんじゃないかと今は思う。言い方は悪いけれど、今の例えに便乗するなら、友達だからこそ、ある程度雑に扱っても許してもらえるんだろうな、と。なのに、私はどんな関係でも我慢したり、自分を折ることの方が多かった。私が人に自分の気持ちを伝えられなかったのは、私のせいで人を困らせたり傷つけたりするのが嫌だったからだ。今はそうは思わない。

そうやって、どんどん自分がほぐれていった今、特に響くのがこの曲。


JUDY AND MARY - ステキなうた

泣いてばっかりの、痩せて独りぼっちの猫はもういない。
私にとってのステキなうたは、ジュディマリだ。


■2017年に得たものは

もうしんどかったときのことなんかほとんど思い出せないし、いろんなことが以前よりどうでもいい。今の自分が楽なのは、自分への自信を取り戻したおかげで、なんでもかんでも責任を負わなくなったからだ。体を壊して一番思うのは、自分の健康が一番大事だってこと。そのために自分の気持ちを折る必要なんか、一つもないってこと。

そういえば、「頑張った今年の年末に、自分が人に誇れるところを3つ挙げてみたら」と占いに書いていたので、考えてみたら、あっという間に出てきた。

・時間がかかっても、自分で自分なりの答えをみつけることができること
・どんなにしんどいことも、最後は「良かったね」と、いい結論に昇華していけること
・自分の気持ちを言葉にできること

そういう風に自分を誇れる一年だった。


■最後に、忘れたくないこと

どんなに人に「適当に生きな」とアドバイスをもらおうが、それが「自分にとって楽な方法なのだろうか」と考えたときに、楽じゃないものもいっぱいあった。私は適当すぎると、逆に不安になるのだ。だから、アドバイスをもらいながら、一番楽な「ちょうどいい」をみつけられるのは自分しかいないと思う。人の言葉を鵜呑みにしないことを、このとき覚えた。

例えば、私はカープの大瀬良のこの記事を読んで、大瀬良のことがより好きになった。

number.bunshun.jp

大瀬良といえば、今年、阪神の藤浪の死球を受けながらも、藤浪の精神状態を心配してか、笑顔で返したというエピソードがある。この対応には「真剣勝負をする身としてどうなのか」と賛否両論があったが、大瀬良の行動なら納得がいく。大瀬良は、もとより優しい性格で、障がいを持つ弟との心温まるエピソードは有名だ。

だが「そんな優しい大瀬良では勝てない」と厳しい言葉も浴びせられてきた。その中で…私は、この記事を読みながら、「大瀬良は、優しい自分が一番楽なんだろうな」と思う。優しさこそ、大瀬良らしさだ。その中で強さをみつけることは、きっとできる。

私はやっぱり真面目すぎるといろんな人に言われる。
でも、こうやって時間がかかっても、自分で自分なりの答えをみつけることの方が、性に合っている。そうすれば、二度と同じことでは悩まなくなるからだ。自分でみつけた答えには、そういう説得力がある。ある程度楽観的になった分、根本は変わらなくたっていい。そういう自分とのうまい付き合い方が大事なんだと思う。

 

この一年の充電期間が、どうかお守りになりますように。私はどんどん自分が愛せる自分になりたい。可愛くなりたい。中身も外見も魅力的な自分になりたい。ヘアアレンジが大の苦手でずーっとボブヘアに逃げていたけど、最近は髪を伸ばして、ついにコテを買った。毎日、ワックスをつけてゆる巻きを練習している。今の自分は、きっともっと良くなると信じている。

私は、逃げなかったことをちゃんと残しておきたかった。ここまで読んでくれた人がいるかはわからないけれど、年末に、駆け抜けたこの一年を、自分への備忘録として残しておきたかった。

どうか来年は、最高な2017年よりも、さらに素敵な一年になりますように。まだ少し不安だけど、きっと繋がってる。2016年もそうだったから。

2017年11月25日 平賀さち枝 まっしろな気持ちで会いに行くツアー@京都UrBANGUILD

とてもとてもよかった。込み上げてくるたくさんの気持ちがあった。ライブが終わった後、「帰りたくない」そればっかり頭の中に広がって、仕方なく、1人三条のスターバックスでぼーっとしていた。鴨川を挟んだ三条京阪のネオンが私は大好きだ。
京都で遊ぶようになって何年も経って、寝てるとき以外は京都にいるくらいなのに、いまだに山科を経由して三条に降り立つと、三条大橋から鴨川の写真を撮る。どこにアップする訳でもないのに。それくらい、どうしようもなくワクワクしてしまうのだ。観光客で忙しい場所のはずなのに、ゆっくり時間の流れているこの風景が、とてもとても愛おしい。

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さっちゃんのライブはとても久しぶりで、ワンマンは初めてだったかもしれない。一曲目に、河原町がどうとか、東山がどうとかいう、京都の男への失恋の曲をカバーしてて、それがとても良かった。終わった後に物販で曲名を本人に聞いたら、「京都慕情っていうんだよ、youtubeにもあるよ」と教えてもらった。


京都慕情 - 渚ゆう子

 

この日のライブは京都で観れて、アバンギルドで観れて、本当に本当によかった。京都の曲なんて一曲目だけだけど、あまりにたくさんの日常のワンシーンに馴染むさっちゃんの曲は、私の京都のたくさんの思い出に溶けて消えていった。大学も、社会人も、今も、ずっと。

今日のライブを観ながら、さっちゃんに伝えたいことがたくさんあるなあと、何を話そうかなと考えて、たくさんのやりとりをバカみたいに想像していた。そんなとき、彼女が歌っていた目黒川の「叶わぬ夢が いまだ心の中に それでもこんなに輝いて」という歌詞が頭の中に妙に響き、胸がいっぱいになった。大切なことは、大切にしたままでいいことを、そうやって歩いていくのも間違いじゃないと、私は今年たくさんの言葉の中で学んだのだった。

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当たり前の言葉が、さっちゃんの曲に乗ると、とても輝いて聞こえる。それがどれだけかけがえのないもので、愛おしい言葉だったかを、教えてくれるように。使い古した言葉が、丁寧に磨かれるように。

特に、新譜の「あけましておめでとう」を聴くと、そう思う。
私はこの曲が一番好きで、私が平賀さち枝を好きな理由のほとんどが詰まっていると感じる。

あけましておめでとう 今年もまた
大切なあの人の 笑顔が輝くよう

社会人になって最初か2回目の年末、箱根の温泉旅館で年越ししたことがある。

せっかくここまで来たなら特別美味しいものが食べたいという想いで、たまたまみつけたミシュラン一つ星の四千円のうな重を食べに行った。「ホイッスル!」の主人公と同じ名前の最寄り駅だったのを、よく覚えている。

行列を並びながら店内を見ると、みんな笑顔でうな重を食べていた。
正月だったこともあってか、家族連れのメンバーは、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、その子供という組み合わせがとても多かった。老若男女問わず、うな重が「美味しい食べ物」、そして共通の「幸せ」の記号として成り立つやわらかくあたたかい光景に、なんだかとてつもなく胸を打たれてしまった。

うなぎが高価で美味しい食べ物なのは周知の事実だけれど、その「当たり前」がその場の幸せをすべて食い尽くすような光景を、とても美しく感じたのだった。なんでもない光景なはずなのに、胸にグッとくるものがあった。みんなが揃って笑顔になれるものって、この世にたくさんはないと、私は思う。

そのときのことを、この曲を聴くとよく思い出す。
当たり前の言葉や時間が、かけがえのない価値を持って、目の前で光って見えるから。

「あけましておめでとう」という言葉だって、新年を祝う愛おしい言葉だったよな、と、そう思うのだ。

さっちゃんの歌には、そういう力がある。

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さっちゃんは歌詞を何度も忘れていたし、そのたびに演奏をやめては一生懸命絞り出すようにして歌詞を思い出していて、もう何年も前、大森靖子がさっちゃんを「出来上がってる子」と言っていたのは、音楽センスはもちろんだけど、こういう計算の入り込む余地のないドがつく天然具合が醸し出すどうしようもない可愛さなんだろうなと思った。とっても可愛くて、男性客がほとんどを占めているのもよくわかった。

ライブ中、突如始まった質問コーナーがあり、初めてこういう機会に手を挙げた。「いつも可愛い服着てらっしゃいますが、どこで買ってるんですか?」という間の抜けた質問だけど、ずっと気になってたので聞けてよかった。「ユニクロとかGUばっかりだよ!渋谷や原宿にも行くけど」とのことでした。

物販で、関西でも女子会をしてねとお願いして帰った。「さっきは質問してくれてありがと」と言ってくれて嬉しかった。アイドルの握手会みたいに、少ない時間で何を伝えるのか必死で、失礼な態度を取っちゃったかも。でも、いろんなこと聞けたし、特に手を挙げて質問したことなんか「私、もうこんなこともできるようになったんだ!」と、嬉しかった。今までならきっとそんな勇気なかったな。いろんなところで、私の一年の軌跡を感じる。

 

なんだか今でも余韻に浸れるようなそんなライブだった。こんな日に一人酒を飲んで帰れればよかったのにと、思う。
地下鉄は情緒がないとかいう理由で、京都慕情を聴きながら、わざわざバスに乗って帰った。