女の当たり前へのギモン

何度も更新しようと思って記事を書いていたのだけれど、ちゃんと書こうとしすぎて全然更新できなかった。相変わらず、適当が苦手だ。

 

■結婚した

昨年のいい夫婦の日に結婚した。適齢期になってからは、年々危機回避能力が高くなり、「毎年7/7と11/22はtwitterとインスタグラムを開かない」と決めていたのだが、薄情にも自分もいい夫婦の日に入籍したのであった。

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ま、まさか私がティファニーだなんて…!今までのお前なら絶対どこかの工房でオリジナル指輪作ってただろ!!というツッコミをグッと呑み込む。指輪は二人で見に行って決めた。「俺はカルティエがいい!なぜならミーゴスが使っているから!!」という夫の意見は見事に聞き流され、一番つけやすくて可愛かったティファニーにした。見栄っ張りな自分たちらしいなと、すごく気に入ってる。

 

音楽が好きな人とは結婚することはないだろうと思っていたけれど、結局音楽が好きな人と結婚した。

 

でもバンド活動をしていた私に対して、夫の音楽表現はDJだし、ヒップホップが好きな人なので、音楽の趣味はそこまで合う訳ではない。

 

だから、個人的には音楽の話をしなくてもいいのがめちゃくちゃ楽で、うまくいっている理由の一つなのかなあと思う。

 

正直なところ、今は料理したり掃除したり、日々の生活をまわしていくことが何よりも楽しく、新しい音楽に対して以前のような好奇心が持てなくなってしまった。「お、これいいじゃん」とマイペースに音楽を聴いている自分にとって、相手の会話レベルまで新譜を聴いて話を合わせていく努力ができない。だから、どんな話題でもだいたい通じるけれど、音楽の趣味がドンピシャでないというのがとても楽だ。

 

まあ、「タイラーザクリエイターの新譜ホントいいよね~」って話したりするし、聴いてるものが全く違うなんてことはないんだけど。

 

同棲生活がぼちぼちあったので、結婚して日々の生活がそんなに変わる訳ではなかったけれど、親戚付き合いが増えたり、毎週のようにファイナンシャルプランナーのもとに通って、さあどの保険に加入するかと話し合ったり、なるほど「生活」以上に「人生」ベースで考えることが増えたのであった。携帯に「家族割」が適用されたときも、感慨深かったなあ。

 

夫はいつだって一緒に考えてくれる人だ。私がずっと勝手に背負ってきた荷物を一緒に担いでくれる。一人じゃないって、こんなに楽チンで幸せなことなんだと思う。結婚して本当によかった。毎日がとても楽しい。

 

 ■2019年の一文字は「怒」

 

とはいえ、やたらと怒っていたのが2019年。

「女」としての扱われ方にひたすら疑問を抱いた1年だった!!

 

私の転職先は、名を聞けばとてつもなく公的かつお堅い職場で、今までベンチャー企業でしか働いたことがない自分にとっては、その環境に天と地ほどの差があった。

 

仕事は楽で、定時に帰れるハイパーホワイトな企業だが、まあまあな縦&男社会。課内に女は私だけ。

 

私の仕事は、毎朝社員の使ったコップを洗うところから始まる。マジで意味不明。コピー用紙も何故か私が替える。ちなみに、コピー用紙って結構重いけど、他の課の大きいお腹をした妊婦の同僚がコピー用紙を変えていても、誰も声をかけない。

 

社員は良い人がたくさんいて、大好きな上司にも同僚にも恵まれ、本当にありがたい。けれど、例えばどこかの大臣が「子供は最低3人産むように」と発言してひんしゅくを買ったあの出来事が、スーッと脳裏をよぎるような、女に対して何か履き違えている時代遅れの考え方が、特に年配の社員に見え隠れするときがある。

 

たぶん、男性社会の部署なのもあるのだろうが、こんなにも「女が働くということ」に向き合ったことはなかった。たとえ雇用形態が異なったとしても、働く仲間として尊重されるべき部分があるんじゃないかと思う。

 

違和感が拭えなくて、頼みの綱だと思っていた会社の労働組合の活動報告には毎回目を通していたし、同僚たちのように「だって我慢すればお給料もらえるし」と丸め込めなかった私の意見は赤裸々に伝えもした。

 

そうやって抱えてきた「女の扱われ方」に関する疑問と、結婚のあれこれは直結していて、幸せであると同時に、最初は結構しんどかった。

 

好きな人と同じ苗字になるのって、もっと幸せなことだと思っていたのに、29年間付き合ってきた苗字を手放すのは寂しかった。本籍地が夫の実家になったり、そういう些細なことが、思いがけず鋭利な針となり、チクッと胸を刺した。自分が自分たる証が、ベリベリと剥がされて、有無を言わさずベチャッと新しいラベルをつけられる感じに、実を言うととても葛藤があった。

 

誰に話しても、「私も同じこと思ったよ」と言われたが、友人らの言うそれはマリッジブルーに値するものであり、私の場合はそれだけではない気がした。仕事で感じている不満が、女が結婚する上で当たり前だと思われていることに対する疑問をより深くした。

 

例えば、女だから身を挺して家の考え方に沿わないといけないとか、旦那の実家に足を運ばないといけないとか、台所に立たないといけないとか、そういうのがあまりよくわからない。「嫁ぐ」って一体何なんだ。「妻」はいいけど、「嫁」って呼ばれるのは好きじゃない。

 

そもそも、育ってきた環境で常識なんか異なるはずなのに、どちらかだけが尊重されるべき、なんていうのはおかしいと思う。どちらの常識も尊重されるべきなのだ。

 

今まで感じてきた世の中の当たり前に対して、初めて疑問を感じるようになったのが2019年。当たり前を当たり前に享受してはいけない、それが正解だなんて限らない。と、既婚者の立場となり、今話題の「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読みながらも強く共感する。 私自身の、2019年の大きな成長だなと思う。

ちなみに情報源をインターネットから新聞に変えたのも、自ら疑問を呈するようになった大きな要因なので、今年もこの習慣を続けたいな。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 

 

私が希望する訳ではないけれど、夫婦別姓を望む人の気持ちが、結婚して少しだけわかった。利便性だけで追及されてきた問題ではなかったんだ。配偶者にこういった不自由がほとんどないのは、フェアじゃないなと、諸手続きの面倒さも含め感じている。毎日のように隙間時間を使って銀行印を作りに行ったり、パスポートセンターに行ったり、非常に面倒だった訳だけど、「結婚した女の特権だと思えば」と言われても、楽しむことができず、なんだか切ない気持ちになった。

 

正月の帰省時だって、福岡の義父母はとてもよくしてくれるし、わざわざご馳走を用意して待っていてくれた。親戚もびっくりするくらい優しい方ばかり。義母方の祖父母が小さな涙を光らせて「おめでとう」と言ってくれたときは、私も嬉しくて泣きそうだった。そして今回の帰省では、特にお義母さんと仲良くなれたことがすごくすごく嬉しかった。

 

しかし、それと結婚した女の当たり前がわからないのはまた全く別の話だ。

 

なんにせよ、答えの一つ一つは私一人ではなく、結局は夫婦でみつけるものだと思うので、今はまだ疑問を泳がせながら、結婚1年生として何がベストなのかを探している途中だ。こういう疑問や怒りを直接ぶつけても、一生懸命私の立場を理解しようとしてくれる夫には本当に感謝している。私は自分の父よりも優しい人には一生かけても出会うことはないな、と思っていたけれど、菩薩の父と同じくらい、優しい人に出会えたとも思う。一緒に考えてくれることが、優しさなんだなと、夫を見て思う。

 

こんな感じで、結婚して思うことがいっぱいある訳だけど、それによって文化指数のガクンと減った自分を、つまらないって思われるのかな。ということも、日々思う。

 

だって、私も「あのアーティスト大好きだったけど、結婚してからなんか作る曲落ち着いちゃってつまんない」って言ってきたんだもんな。

 

けれど今の私は、文化的な活動以上に、スーパーでいかに野菜を安く買っておいしい晩御飯を作るかということが、楽しくて楽しくて仕方がない。

 

当事者からしたら、こんなに充実した日々はなく、つまらない瞬間なんか、一瞬たりともないのだけれど。うるせー、私は毎日、小躍りしちゃうくらい楽しいよ!