日記(2019.7.16)

最近、職場に行って会社の人たちに会うのが楽しい。OL10人でまとまって昼休みを過ごすのがとても辛くて、昼休みは散歩したり公園でぼーっとすることも多かったのだけれど、入社から丸々3か月経って、急に仲良くなった。逆に今は昼休みに外に出ることの方が億劫になってしまった。あんなにごちゃごちゃ言ってたのに、自分でも恥ずかしいと思う。

でも、このオチも最初からわかってたんだよなあ。私が「ごはん一人で食べる人」枠に入ってこの悩みが解決するんじゃなくて、周りの人たちのことが好きになって解決するってこと。私は、自分だけが別の行動をとるよりも、周りに馴染むことの方が最終的には楽なタイプの人間だ。今は自身の発言を浅はかだと本気で思うけれど、人間だもの。初めての環境じゃ、仕方ないか。

その中でも、とても好きな人が一人いる。いつも底抜けに明るくて、小さくてハムスターみたいでかわいい。「〇〇ちゃん(私の名前)は、こんなときどうする?」とか、「こういうことしてこう思った」とか、小さい子みたいな質問をしてくる。今日は「私はいつも人から遊びに誘われるから、自分から誘って断られたときの悲しさを昨日初めて知った!◯◯ちゃんは、そういうときこの気持ちにどう対処するの?」と、唐突に質問された。私は「しばらくショックだなーって静止してから、別の子誘うかなあ」と言って笑った。この人は見た目も心もこんなに美しいのに、当たり前で簡単なことを、確認するように年下の私に聞いてくる。たまに、こんなにも自信をなくさせた彼女の人生の切れ端を垣間見るとき、とても切なくなる時がある。

でも、私だって、毎日会社で読む読売新聞の「人生案内」のコーナーで、「宇宙のことを想像すると怖い」とか「経験したことがないのにとにかく死を恐れている」とかいうお悩み相談が取り上げられると、心の底から安心するのだ。ああ、こういうこと言っていいんだって。自分だけが変なんじゃないんだって。こんなところにわざわざ投稿して知らない人に答えを乞うている人の気持ちを考えるだけで気楽になる。

彼女にとって私は「人生案内」の投稿先であり、回答人なのだろうと思う。私は肯定ペンギンで、あまり否定をしないから。だって、価値観は一人一人違うもの。職場では、ケラケラ笑いながらしょうもない話ばかりしている。毎日どんな話ができるのか楽しみだ。今度、職場の近くの美味しいケーキを一緒に食べに行く約束をした。今回の転職、前の上司がクソだったのでかなり不安だったけれど、人には本当に恵まれたと思う。

 

誰かと暮らすことを前提にこの職場を選んだという、同じような境遇の人も多くて、いろいろと考えさせられる。バリバリのキャリアウーマンに疲れて、うちに転職して、先日産休を取り始めた人にはたくさん話を聞いてもらった。

私の友人には、結婚して仕事をやめたり変えたりする人が少なく、そのまま総合職でバリバリ働いている女性が多い。自分もそうなるつもりだったけれど、前職に嫌気がさして、結局辞めて今の職場にいる。毎日定時で帰れて晩ごはんが作れる仕事に就くことは、二人で決めたことだ。でもそれが正しかったのか、いまだに毎日考える。理由は、心の底では、私の逃げだったんじゃないかと思うからだ。私は負けず嫌いで「絶対やってやる」と努力して努力して走り続けてきて、パーンとはじけてからはゆっくり歩くことにしたけど、まだ慣れないまま、自分に対して幾分か罪悪感がある。

だから、ふと思う。家帰ってきてごはん作ってる自分に意味はあるのかな。休日も作り置きを作って、お弁当を入れている自分に意味はあるのかな。恋人に少しでも栄養とってほしいと思って、野菜ゆがいてる自分のこの気持ちは、エゴなのかな。私のお弁当は、コンビニのから揚げ弁当よりも価値があるものなのかな。なんて。どれも自分の大事な役割だし、楽しんで、誇りを持ってやるようにしているんだけれど。

そういう話を前述の先輩に話したら、「隣の芝生はいつだってめちゃくちゃ青いよ。私の経験上言うけど、バリバリ働いて、家でご飯作って待ってるなんてマジで絶対無理だよ!!」だから、「もっと自分の人生に自信を持って」と言われた。この人でもそう思うんだなと思った。

逆に、バリバリ働き続けることを選んで、二人とも帰りが遅いことで、家事ができないため、思い描いた夫婦生活ができていないという話もかなり聞く。一人暮らし×2になり、すれ違いの生活になりがち、ということだ。他人との暮らしに正解はない。隣の芝生は青いから、自分なりに時間をかけて納得していくしかない。きっと、自分が前の仕事を続けていたら、ごはん食べながら同居人と一緒にテラハ見たり、いい歳こいてぬいぐるみ片手にギャーギャーとはしゃぐ日常は一切なくなるんだろうなと思う。でも、日々の当たり前を過ごしながら、その尊さに気付くことは難しいんだなあ。

勘違いされそうだから補足すると、二人暮らしはとっても楽しくて、毎日ゲラゲラと笑いが絶えない。一緒に毎日を作り上げている感じがする。

ただ、共働きが当たり前の世の中で、もしかしたら、私は新聞で見るような問題に直面しているのかもしれない。女性が働くということ、キャリアを据え置くこと、ライフプランを考えること、仕事と家庭を両立させられるような国の保障の在り方を模索すること。私は前述に記したように自身の問題にしていたけれど、もっと広い問題なのかも。

ああ、自分も、もう少しで30歳になるのだなあと思う。最近はそんな風に自身や暮らしを顧みることが多く、政治にもやっと興味を持ち始めたのであった。