2018年の夏休み

今年も夏休みが終わり、ああ平常運転が始まってしまう!去年の夏休みの日記見てると、むっちゃくちゃ遊んでてびっくりした。

 

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今年はというと、6日間の夏休みの間、4日間は山口県と福岡県に旅行に行っていた。

夜、新幹線の予約時間ギリギリまで働いていた恋人の仕事の愚痴を聞きつつ、買っておいた駅弁を食べながら2人で山口に向かった。人と新幹線に乗るのってなんでこんなに楽しいんだろう。 昼の間に京都伊勢丹で並んで、「出町ふたば」の豆餅と「ゑびす屋加兵衛」の矢来餅を買っておいたので、デザートに食べた。特別に特別が重なった感じがして、美味しくて楽しかった。

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夏休みなのにほとんど観光客のいない維新の街・萩はとても心地よかった。予定外の市場でバスを途中下車したりして、人と来る旅の醍醐味だなあ。城下町もうろうろ。

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そして私は松下村塾より何よりも、萩焼に出会えたことが印象的だった。大好きな水彩画に似ていてとても綺麗!淡い水色や紫が、キキララの世界観みたいだ。

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お茶碗を買って帰ったけど、毎日これでごはんを食べるたびに、もっとたくさん買えばよかったと後悔する。通販で買うのもなんかなあ…だし、また萩に行きたいよ。

食道炎が治ったと判断して、数ヶ月ぶりのお酒をしこたま飲んだ。唐戸市場で食べた安くて美味しいお寿司と海鮮丼は、再訪への意志を強固にしてくれた。パン屋さんみたいに好きなお寿司をトングでとって飲食スペースで食べるの、夢ありすぎ!

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ああ、そういえば、唐戸市場に着くまで期待を込めてワクワクしながら、走り出したい気持ちを抑えて歩いた景色も、とてもキラキラしていた。

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下関の海鮮も、食べ放題も、博多のもつ鍋も、どれもむちゃくちゃ美味しかったけど、この旅のハイライトは、リーガロイヤルホテルの最上階のバーで飲んだことだった。超予定外だったし、一杯二千円とかアホみたいに高かったけど、こういう漫画みたいな贅沢に、本当は憧れていたんだよな。いろんなことを考えて、なんか泣きそうだった。一杯だけにするつもりだったけど、もう少しここに居たくて、二杯目も飲んだ。こういう贅沢をまた絶対にこの人と一緒にしたいなと、静かに思った。

翌日、このまま実家に帰ると言う恋人を置いて、帰りは一人で新幹線に乗った。新幹線が動き出すと、ゴーーッというとてつもないスピード感を思わせる騒音と、細かい振動が体に伝わって、大きな時間の中に身を預けている感じがした。友達に勧められたミスチルのアルバムの一曲目を聴きながら、気がついたら目の前が滲んでいた。その友達が「ミスチルって未来のこと歌うところがいいんだよね」と言ってたことを思い出した。


Mr.Children「Worlds end」MR.CHILDREN DOME TOUR 2005 " I ♥ U " ~ FINAL IN TOKYO DOME ~

自分の人生も、こんな風に今音を立てて進んでいるのかもしれない、と思った。異動して以降しんどい仕事のことも、結局旅行中忘れられなかった。でも、それもこんな音を立てて濁流のように進んでいる時の流れの一部となって、自分を乗せて前に前に進んでいる感じがした。

過去に時間の止まっていた人間にしかわからないこともある。この日は苦手な新幹線も、怖くなかった。今は、ちゃんと進んでる。

昨年の今は「止まっていた時間を、自分でなんとか動かしている」そんな充実感があった。一歩一歩、地面を踏みしめるように。その度に、どんどん下を向いていた顔が上がっていった。
今年は、台風のように自然発生した大きな大きな時間の流れにいる、そういう感覚がある。

滋賀に帰って、後の二日は、友達と飲んだり、親戚と食事に行ったりした。緩やかでとても楽しい夏休みだった。私はとても幸せだな。

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最近、家路を歩きながら「そういや私、捨てまくったな」とふと思う。今自分の手元にあるいろんな人や物は、煩わしいと思いつつずっと捨てきれなかった大切なものたちと同じ位置にある。

大切だけど煩わしい、両極端が同居するものの扱い方の難しさに以前は振り回された。大切なのに大切にしてない自分を見て自己嫌悪する、そういう悪循環にはまってイライラしていたと思う。社会人になってからは、特に。

おいおい、それってつまり、煩わしいどころか、超煩わしいものだろ!!とっとと捨てるべきでは!と気付くのにとても時間がかかった。

拾うことより捨てることの方がよっぽど難しい。自分が自分でいられなくなるアウトラインを基準にして、取捨選択をすることにはものすごく勇気が必要だった。

地元の友達のグループでいるとき、自分だけ次第にノリが合わなくなっていた。みんなのこと好きだけど、人が同じ価値観でずっとい続けることは無理なんだなと、途中で諦めた。小さい頃から一緒にいるからこそ、これからもずっと一緒だなんて考え、いつの間に植え付けられたのかなと思う。この固定概念が邪魔して、距離を取るのが苦しい。でもその同調的な違和感に気付いてしまった自分は、少し男っぽいのだとも思う。

簡単に捨てられた訳じゃない。全部、手放すのにうんと時間がかかって、どれも身がちぎれるほど苦しかった。
けれど今、辛いことがあっても、自分が心から信頼できる幸せがあって、なにも間違ってなかったんだなと思う。
今年は大好きな友達と、何年振りかもはやわからない琵琶湖花火大会を観に行った。私が大好きなグランディールのパンを買っておいてくれて、めちゃくちゃ嬉しかった。

びっくりするくらい綺麗な花火を、ラッキーなことに無料で大津京の建物の屋上から椅子に座ってみれて、超快適!わあわあ言いながら見た。

どんなに苦しかったか例えようもなかったけど、やっぱり思い切って捨てていってよかった。心からそう思う。大事じゃなかった訳では全くないけど、今大切なものを振り返るたび、これでよかったんだと、強く思う。

忘れられない夏になった。