2017年を振り返って

2017年も暮れに近づき、意味を持って過ごしたこの一年だけは、何があっても言葉にまとめておかなければならないと思う。

最近椎名林檎の活躍ぶりに胸を打たれる。「人生は夢だらけ」を聴いただろうか。


椎名林檎 – 人生は夢だらけ

高校生のとき、無罪モラトリアム勝訴ストリップを、それはもうよく聴いた。この人にしかできない何かが圧倒的な色を持って曲に張り付いていたし、尖った10代の感性に魅力的でない訳がなかった。

けれど、その才能を持って、最近の椎名林檎がやろうとしていることは、自己表現だけではなく「この国に生きる大勢の誰かの幸せ」のためであるように思う。
だからといって単に大衆的という言葉からは程遠い気がするのは、曲の中に個性だけでなく、とても丁寧に上品さが含まれているからだと思う。彼女はユニクロの高級品ではない。

Yahoo!で特集されていたこの記事を読んで、余計にそう思う。

 

news.yahoo.co.jp

 

そういうことを考えながら、NHKの2014年度サッカー放送のテーマ音楽として起用されたNIPPONを聴くと、改めて圧倒される。


椎名林檎 - NIPPON

リオ五輪の閉会式だって、当時見たときは「こんな感動を齎すことのできる人間が日本にいるのか」と、衝撃を受けた。
日本はどういう国で、日本人がどんなことを考えていて、どういうところが素晴らしいのか。考えては彼女なりの方法で咀嚼されており、私は多くの彼女の作品の先に「大勢の誰かを幸せに、元気にさせたい」という熱量を感じるようになる。「人生は夢だらけ」は、クリエイターとしての椎名林檎の想いを知るような歌詞だ。

「人を元気にするもの」が誰しもにとって同じでは決してないけれど、たくさんの人に支持されるものは、当然ながら良いものが多いに決まってるのだ。スターウォーズも、SMAPも、ダウンタウンも。

そういう想いで、私は今年、自然とサブカルチャーから少し離れていた。
だって私は、昨年一度壊れ切ってから、どうしても、どうしても、元気になりたかったのだ。

サブカル批判をしたいのではない。なんとなく、ずっとメインカルチャーを遠ざけていたから、恥ずかしながら、みんなが知っている面白いものを知らずにいたと思う。「変わりたい」「元気になりたい」そういう欲求のおかげで、今年面白いものにたくさん巡り合えた。

だから、自分が今年とても大切にしてきた「みんなに愛されるものは、きっといいもののはず」という気持ちと、それらによって健康で楽しい日々を送る自分を想うと…椎名林檎の前述のような活躍は、私にとって、とても胸を打つものがある。

 

■好きなことをして、自分と向き合った2017年

先に述べたとおり、今年はいろんなことを楽しめた。
野球観戦も、登山も、ボードゲームも、野外フェスも、アウトドアも、多国籍料理も、ブログも、お笑いも、テレビドラマも、数えきれないくらい、たくさん!!去年できなくなったいろんなことを取り戻すつもりで、全部楽しんだ。

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私は「この一年間」とか「昨年」という言葉をよく使うが、何度もブログに書いているように、心と体のバランスを完全に崩し、何もできなくなった昨年秋からの一年のことを指している。本気で息の仕方がわからなくなって、外に出るのが怖かった。よく漫画で「あのとき俺は一回死んでるから…」なんて使い古したクサーいセリフがあるけれど、自分にそういうタイミングがあるとすれば、このときだろうと思う。それから自分の変化を、一年間ずーっと見てきて、人生で今の自分が一番好きだと言える。まあ、私はいつだって今が最高なんだけど、そうも言えない時期もあったのだ。

「元気になるには、今の自分のままじゃだめだ」と、一度バラバラになったパズルのピースを、全く新しい別の額縁にはめ直していくつもりで、ゆっくり自分の再構築を目指した一年に、心の奥底から意味があった。正しい形で、他人よりも、自分のことを最優先できるようになってきたからだ。

その一年を支えてくれたカープに感謝するつもりで書いた記事は、たくさんの人に読んでもらえた。twitterでは知らない人から突然コメントがくることもあった。「泣けた」とか「自分も父親と野球観に行こうかな」なんていう言葉をいただくと、自伝的な内容だったから、より不思議な気持ちになった。

 

mkkm1229.hatenablog.com

 

日記ではなく、「誰かに読んでもらうことを大前提にした記事」に反響があるのは嬉しい。ブログを始めて、こういう文章を書く人なんだと名刺代わりになったこともよかった。この記事のおかげで、2016年暮れの「自分なりのアウトプットがしたい」という想いをちゃんと達成できたのだった。

そういえば、この記事を書いた日は、石井ゆかり曰く「みずがめ座が最強に運の良い1日とされる10/10」だったのに、なーーんにも起こらなかった。「だったら10/10を自分で動かしてみよう」と思って、4か月近くしたためた文章を投稿したのだった。

結果、たくさんのレスポンスをいただいて、充実した一日になったことも、忘れられないのだ。自分には、他愛ない一日を動かす力も、人の心を動かす力も、ちゃんとあるんだと思った。


■背中を押してくれたJUDY AND MARY

解散から15年、今更ながらむっちゃくちゃハマってしまった。
ジュディマリが解散したのは私が小学生の頃で、世代からは外れていて、有名な曲しか知らなかったのだけど。TAKUYAの実家が経営するカフェにわざわざ出向いたり、当時のDVDを見たり、ファンブックを借りたり、完全にバンドとしてハマっていた。かっこよすぎる演奏、メンバー、すべてが愛おしい!古いファンサイトにも足跡をつけまくっていた。

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YUKIは風のようだ」と何度思っただろう。
YUKIの歌詞は「誰に咎められようと関係ない、自分らしく生きていく」そんな性格が出ていて、曲を聴くたびハッとした。何にもとらわれず、人よりも数歩先を颯爽と歩くYUKIみたいになりたくて、私はこの一年、ジュディマリを聴きながらずっと、ずっとYUKIを追いかけていた。YUKIに会いたかったから、フジロックにも行った。おしゃれで可愛いYUKIのファンの女の子に囲まれながら、泥だらけで汗まみれの私は、声にならない声で泣いていた。YUKIはとても可愛かった。

ジュディマリを聴きながら歩くと、実際の歩幅よりも大きく、速く歩ける気がした。


JUDY & MARY WARP TOUR FINAL ~part 10~ ラッキープール

 逆に、後ろ向きな曲を聴くと「YUKIでもそんなこと思うんだ」と元気が出た。
「あなたは生きている」なんか、まさにそうだ。


『あなたは生きている』:JUDY AND MARY 1996/ LIVE

サビの「ぐるぐるに廻る頭の隅で飛べない鳥は祈りを忘れず」のところなんて、今までの私のYUKIに対する頭が悪そうな(失礼)イメージを吹っ飛ばすような文学的な歌詞で、そういう抜群のライティングのセンスにもドキドキした。

以前、ブログのタイトルにもして、何度も聴いては背中を押してくれた「風に吹かれて」には、本当に救われた。この曲に出会ってから、私は自分の足元を見て歩くことができるようになった。


Judy And Mary 風に吹かれて Warp Tour Final Live

もし生まれ変わって 違う私でも
永遠に銀河の風に吹かれて…

こんな自分じゃなきゃよかったのにと、失ったものを眺めては何度も責めていたけれど、迷っても転んでも、果ては生まれ変わっても、このままの自分でいいんだと、この歌を聴いてやっと思うことができた。

夢中になりたいから 人を好きになるから
忘れてゆくもの 捨ててゆくもの 私が信じたもの

YUKIは、私があのとき置いていったたくさんの人やものも、「私が信じたもの」と言ってくれた。捨てていくものはどれもこれも、いらないものな訳じゃないと、むしろとびきり大切なものばかりだったことを、ちゃんと認めさせてくれたのだった。ずっと、いろんな人間関係を「私には必要なかったものだから」と無理やり思わなければいけないような気がしていた。全然、そんなことなかったのだ、ただのひとつも。

今年大ハマりしたドラマ「カルテット」のすずめちゃんの言葉もそう。

行った旅行も思い出になるけど、
行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか

私はこの言葉のおかげで、人からのお誘いを断れるようになった。

女の子付き合いの中で、「大切にする」というのはどうしても食事への参加率とかそういうのが影響してくる。でも元々私は女子の団体行動が得意ではなく、苦しいことが多かった。「でも嫌いなわけじゃないし一人一人のことは好きだから」と相当気を奮わせてグループに参加していたのだが、この言葉を聞いてから、そういうのをやめた。

なんだか「行かなくても思い出になるのなら、行くのも行かないのも一緒じゃん」と思えてきたから。行かないからって、大切じゃない訳でもない。

そういえば、このことを考えるとき、思い出すことがある。
ボロフェスタという音楽フェスのスタッフをやっていたのだけれど、私は機材担当を任されて、「今からフェスで使う機材を扱うのはハードルが高すぎる」と不安になっていたら、主催者の一人に「バンドやったことある人は、アンプをある程度雑に扱えるやろ?触ったことのない人にはそれができない。だから君はそれで充分」と言われた。確かにその通りだなと思った。

友達や恋人付き合いもそうなんじゃないかと今は思う。言い方は悪いけれど、今の例えに便乗するなら、友達だからこそ、ある程度雑に扱っても許してもらえるんだろうな、と。なのに、私はどんな関係でも我慢したり、自分を折ることの方が多かった。私が人に自分の気持ちを伝えられなかったのは、私のせいで人を困らせたり傷つけたりするのが嫌だったからだ。今はそうは思わない。

そうやって、どんどん自分がほぐれていった今、特に響くのがこの曲。


JUDY AND MARY - ステキなうた

泣いてばっかりの、痩せて独りぼっちの猫はもういない。
私にとってのステキなうたは、ジュディマリだ。


■2017年に得たものは

もうしんどかったときのことなんかほとんど思い出せないし、いろんなことが以前よりどうでもいい。今の自分が楽なのは、自分への自信を取り戻したおかげで、なんでもかんでも責任を負わなくなったからだ。体を壊して一番思うのは、自分の健康が一番大事だってこと。そのために自分の気持ちを折る必要なんか、一つもないってこと。

そういえば、「頑張った今年の年末に、自分が人に誇れるところを3つ挙げてみたら」と占いに書いていたので、考えてみたら、あっという間に出てきた。

・時間がかかっても、自分で自分なりの答えをみつけることができること
・どんなにしんどいことも、最後は「良かったね」と、いい結論に昇華していけること
・自分の気持ちを言葉にできること

そういう風に自分を誇れる一年だった。


■最後に、忘れたくないこと

どんなに人に「適当に生きな」とアドバイスをもらおうが、それが「自分にとって楽な方法なのだろうか」と考えたときに、楽じゃないものもいっぱいあった。私は適当すぎると、逆に不安になるのだ。だから、アドバイスをもらいながら、一番楽な「ちょうどいい」をみつけられるのは自分しかいないと思う。人の言葉を鵜呑みにしないことを、このとき覚えた。

例えば、私はカープの大瀬良のこの記事を読んで、大瀬良のことがより好きになった。

number.bunshun.jp

大瀬良といえば、今年、阪神の藤浪の死球を受けながらも、藤浪の精神状態を心配してか、笑顔で返したというエピソードがある。この対応には「真剣勝負をする身としてどうなのか」と賛否両論があったが、大瀬良の行動なら納得がいく。大瀬良は、もとより優しい性格で、障がいを持つ弟との心温まるエピソードは有名だ。

だが「そんな優しい大瀬良では勝てない」と厳しい言葉も浴びせられてきた。その中で…私は、この記事を読みながら、「大瀬良は、優しい自分が一番楽なんだろうな」と思う。優しさこそ、大瀬良らしさだ。その中で強さをみつけることは、きっとできる。

私はやっぱり真面目すぎるといろんな人に言われる。
でも、こうやって時間がかかっても、自分で自分なりの答えをみつけることの方が、性に合っている。そうすれば、二度と同じことでは悩まなくなるからだ。自分でみつけた答えには、そういう説得力がある。ある程度楽観的になった分、根本は変わらなくたっていい。そういう自分とのうまい付き合い方が大事なんだと思う。

 

この一年の充電期間が、どうかお守りになりますように。私はどんどん自分が愛せる自分になりたい。可愛くなりたい。中身も外見も魅力的な自分になりたい。ヘアアレンジが大の苦手でずーっとボブヘアに逃げていたけど、最近は髪を伸ばして、ついにコテを買った。毎日、ワックスをつけてゆる巻きを練習している。今の自分は、きっともっと良くなると信じている。

私は、逃げなかったことをちゃんと残しておきたかった。ここまで読んでくれた人がいるかはわからないけれど、年末に、駆け抜けたこの一年を、自分への備忘録として残しておきたかった。

どうか来年は、最高な2017年よりも、さらに素敵な一年になりますように。まだ少し不安だけど、きっと繋がってる。2016年もそうだったから。