【感想】愛の休日/柴田聡子

初めて初期のライブ映像を見たとき、失礼を承知で言うと、爆弾みたいな人だなと思った。
理由は、歌っている姿が何か訴えようとして怒っているように見えたことと、歌詞に突拍子がなくて、何をしでかすかわからない危なっかしさを感じたからだった。さらに、その時彼女はキノコ頭で少し太っていたので、ころころとした見た目もそう思わせる一助を担っていた。
ももうそんな柴田聡子はどこにもいない。彼女は怒っていない。何より、すっかりあか抜けてしまった彼女は見違えるほどに美しい。

 

愛の休日

愛の休日

 

 

この記事について、本人の意図は知らないので、いつも以上に、あくまでも一ファンの感想として捉えてほしい。

1stアルバムの「しばたさとこ島」を聴いてから、私は話したこともないこの人のことを、きっと同志と受け取っていたのだろう。彼女には、曲とともに人間的な魅力を感じずにはいられなかった。

 

カープファンのあの子は可愛いね
ギター弾けないから ボーカルで相変わらず可愛いね
あの子に子供が産まれる前に わたしに子供が出来る前に
もっともっと酷いことを考えておかなくちゃ


彼女が最初にブレイクしたのはこの「カープファンの子」だが、努力しようが「世の中顔と愛嬌」をまざまざと見せつけられるような歌詞、最後の「もっともっと酷いことを考えておかなくちゃ」のパンチライン…この人、相当卑屈な人生を送ってきたんだろうなと思った。「この気持ちはコンプレックスにまみれた人間にしかわからない」と当時かなり卑屈だった私はモロに共感して、心の「わかる!」ボタンを押し続けていた。

実際この時の柴田聡子は、あんまり可愛いとは言えなかった。
というか、せっかく可愛い顔をしているのに、抜群にあか抜けていなかった。
キノコ頭で、丸眼鏡にシャツのボタンを一番上まで留めて、なんでもないズボンを履いてギターを一生懸命弾いていた。サブカルなイベントにいるリュック姿のちょっと冴えない子、というイメージだった。

カープファンの子」の他にも、「芝の青さ」の「次生まれるときは違う星でお願い」なんて歌詞もあるし、世の中の妬みや嫉みを巧みな言葉選びできる分、もちろんこの人にも何らかのコンプレックスがあるんだろうなと思うに容易い。

なのに、ジャケットには自分の顔をめちゃくちゃアップにして使う。他にもわざと変に写っている写真をアートワークに使っていて、あか抜けない自分が歌っているということを主張するようなパッケージングに思えて仕方なかった。つまり、あんまり可愛くない柴田聡子が歌うことで、曲の説得力が確実に増していた。普通、コンプレックスは隠すものだ。でもこの人は、それをわかって自信満々にやっているようにしか見えなかったから、かなり不思議だった。「柴田聡子は、絶対に柴田聡子でないとならない。」そういう意図ももちろん感じられたが、前述のように不可解に思えてならなかった。

これで、私にとって「何を考えているのかわからない変な人」の烙印が押されることとなった。

そんなイメージが変わり始めたのが、3rdアルバムの「柴田聡子」。
このとき初めてライブに行って思ったことが

「む、むっちゃ可愛いやんけ…」

だった。
痩せて髪も伸びて「ああこの人はもう、カープファンの子がどうこうなんて、言わなくていいな。」と思った。ジャケットと同じワンピース姿が可愛らしい。このアルバムのジャケットは、誰が見たって、とっても可愛い女性だ。とてもキノコ頭でシャツのボタンを一番上まで留めていた野暮ったい女の子と同一人物だと思えない。
ライブを見るのは初めてだったので、「カープファンの子」を聴けるのを楽しみにしていたけれど、別に今の柴田聡子では聴けなくてもいいなと思った。

嫌味のない歌声で淡々と歌い上げるところは変わってない。でも、新しいアルバムには腹の底から出てくるようなねっとりとした怒りは感じないし、圧倒的な清々しさがある。

アルバムの先行MVで「後悔」が公開されたとき、柴田聡子はもうどこにでもいけるんだなと思った。純粋さと素朴さが売りだったはずなのに、斬新なイントロとリズムに合わせて、都会の街中を車に乗って楽しそうに歌う姿はあまりに新鮮だった。そして、とても似合っていた。

 

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初期の彼女は、一人で戦っているような感じがしていたから、なおさら。月刊ウォンブ!のライブ映像なんかまさにそうだと思う。可愛いワンピースを着ているのに、今と全く印象が違うなあ。

 

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でも、彼女はもう一人では作れないような音楽を作っている。「後悔」はそういう象徴的な曲に思える。

新しいアルバムのジャケットの彼女は、びっくりするくらい綺麗だった。腹の底から出していた、「カープファンのあの子はかわいいね」という言葉は、どこへ行ったんだろう。柴田聡子を見ていると、純粋だけど鬱屈した人間が、自分のやりたいようにおもいきって舵を切ることで、いきいきと美しい女性になっていく過程を見ているような気持ちになる。

今や彼女は、純朴な田舎も都会も似合う貴重な女性だ。軽やかなステップで、いろんな人を巻き込んで、自由に楽しく羽ばたいてる彼女の姿は最高に清々しい。純粋な芯を持ちながら、彼女はもっともっと魅力的な女性になるだろう、これからも、きっと、ずっと!
その確信があるからずっと見ていたい。「大嫌い」が「大好き」に聞こえてくるような巧みな言葉の変化球も、もっともっと投げてほしい。

最初、あか抜けないだなんて言ってごめんね。
「卑屈でいたって何も始まらないよなあ」、最近の可能性いっぱいの嬉しい私の口癖が、今の彼女を見ているとうんと近くに感じる。
美しい女性って、こういうことだなと、「愛の休日」を聴きながら、めざましい彼女の活躍を見て思う。

 私は久しぶりに、ライブに行くことを決めたのであった。