2017年を振り返って

2017年も暮れに近づき、意味を持って過ごしたこの一年だけは、何があっても言葉にまとめておかなければならないと思う。

最近椎名林檎の活躍ぶりに胸を打たれる。「人生は夢だらけ」を聴いただろうか。


椎名林檎 – 人生は夢だらけ

高校生のとき、無罪モラトリアム勝訴ストリップを、それはもうよく聴いた。この人にしかできない何かが圧倒的な色を持って曲に張り付いていたし、尖った10代の感性に魅力的でない訳がなかった。

けれど、その才能を持って、最近の椎名林檎がやろうとしていることは、自己表現だけではなく「この国に生きる大勢の誰かの幸せ」のためであるように思う。
だからといって単に大衆的という言葉からは程遠い気がするのは、曲の中に個性だけでなく、とても丁寧に上品さが含まれているからだと思う。彼女はユニクロの高級品ではない。

Yahoo!で特集されていたこの記事を読んで、余計にそう思う。

 

news.yahoo.co.jp

 

そういうことを考えながら、NHKの2014年度サッカー放送のテーマ音楽として起用されたNIPPONを聴くと、改めて圧倒される。


椎名林檎 - NIPPON

リオ五輪の閉会式だって、当時見たときは「こんな感動を齎すことのできる人間が日本にいるのか」と、衝撃を受けた。
日本はどういう国で、日本人がどんなことを考えていて、どういうところが素晴らしいのか。考えては彼女なりの方法で咀嚼されており、私は多くの彼女の作品の先に「大勢の誰かを幸せに、元気にさせたい」という熱量を感じるようになる。「人生は夢だらけ」は、クリエイターとしての椎名林檎の想いを知るような歌詞だ。

「人を元気にするもの」が誰しもにとって同じでは決してないけれど、たくさんの人に支持されるものは、当然ながら良いものが多いに決まってるのだ。スターウォーズも、SMAPも、ダウンタウンも。

そういう想いで、私は今年、自然とサブカルチャーから少し離れていた。
だって私は、昨年一度壊れ切ってから、どうしても、どうしても、元気になりたかったのだ。

サブカル批判をしたいのではない。なんとなく、ずっとメインカルチャーを遠ざけていたから、恥ずかしながら、みんなが知っている面白いものを知らずにいたと思う。「変わりたい」「元気になりたい」そういう欲求のおかげで、今年面白いものにたくさん巡り合えた。

だから、自分が今年とても大切にしてきた「みんなに愛されるものは、きっといいもののはず」という気持ちと、それらによって健康で楽しい日々を送る自分を想うと…椎名林檎の前述のような活躍は、私にとって、とても胸を打つものがある。

 

■好きなことをして、自分と向き合った2017年

先に述べたとおり、今年はいろんなことを楽しめた。
野球観戦も、登山も、ボードゲームも、野外フェスも、アウトドアも、多国籍料理も、ブログも、お笑いも、テレビドラマも、数えきれないくらい、たくさん!!去年できなくなったいろんなことを取り戻すつもりで、全部楽しんだ。

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私は「この一年間」とか「昨年」という言葉をよく使うが、何度もブログに書いているように、心と体のバランスを完全に崩し、何もできなくなった昨年秋からの一年のことを指している。本気で息の仕方がわからなくなって、外に出るのが怖かった。よく漫画で「あのとき俺は一回死んでるから…」なんて使い古したクサーいセリフがあるけれど、自分にそういうタイミングがあるとすれば、このときだろうと思う。それから自分の変化を、一年間ずーっと見てきて、人生で今の自分が一番好きだと言える。まあ、私はいつだって今が最高なんだけど、そうも言えない時期もあったのだ。

「元気になるには、今の自分のままじゃだめだ」と、一度バラバラになったパズルのピースを、全く新しい別の額縁にはめ直していくつもりで、ゆっくり自分の再構築を目指した一年に、心の奥底から意味があった。正しい形で、他人よりも、自分のことを最優先できるようになってきたからだ。

その一年を支えてくれたカープに感謝するつもりで書いた記事は、たくさんの人に読んでもらえた。twitterでは知らない人から突然コメントがくることもあった。「泣けた」とか「自分も父親と野球観に行こうかな」なんていう言葉をいただくと、自伝的な内容だったから、より不思議な気持ちになった。

 

mkkm1229.hatenablog.com

 

日記ではなく、「誰かに読んでもらうことを大前提にした記事」に反響があるのは嬉しい。ブログを始めて、こういう文章を書く人なんだと名刺代わりになったこともよかった。この記事のおかげで、2016年暮れの「自分なりのアウトプットがしたい」という想いをちゃんと達成できたのだった。

そういえば、この記事を書いた日は、石井ゆかり曰く「みずがめ座が最強に運の良い1日とされる10/10」だったのに、なーーんにも起こらなかった。「だったら10/10を自分で動かしてみよう」と思って、4か月近くしたためた文章を投稿したのだった。

結果、たくさんのレスポンスをいただいて、充実した一日になったことも、忘れられないのだ。自分には、他愛ない一日を動かす力も、人の心を動かす力も、ちゃんとあるんだと思った。


■背中を押してくれたJUDY AND MARY

解散から15年、今更ながらむっちゃくちゃハマってしまった。
ジュディマリが解散したのは私が小学生の頃で、世代からは外れていて、有名な曲しか知らなかったのだけど。TAKUYAの実家が経営するカフェにわざわざ出向いたり、当時のDVDを見たり、ファンブックを借りたり、完全にバンドとしてハマっていた。かっこよすぎる演奏、メンバー、すべてが愛おしい!古いファンサイトにも足跡をつけまくっていた。

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YUKIは風のようだ」と何度思っただろう。
YUKIの歌詞は「誰に咎められようと関係ない、自分らしく生きていく」そんな性格が出ていて、曲を聴くたびハッとした。何にもとらわれず、人よりも数歩先を颯爽と歩くYUKIみたいになりたくて、私はこの一年、ジュディマリを聴きながらずっと、ずっとYUKIを追いかけていた。YUKIに会いたかったから、フジロックにも行った。おしゃれで可愛いYUKIのファンの女の子に囲まれながら、泥だらけで汗まみれの私は、声にならない声で泣いていた。YUKIはとても可愛かった。

ジュディマリを聴きながら歩くと、実際の歩幅よりも大きく、速く歩ける気がした。


JUDY & MARY WARP TOUR FINAL ~part 10~ ラッキープール

 逆に、後ろ向きな曲を聴くと「YUKIでもそんなこと思うんだ」と元気が出た。
「あなたは生きている」なんか、まさにそうだ。


『あなたは生きている』:JUDY AND MARY 1996/ LIVE

サビの「ぐるぐるに廻る頭の隅で飛べない鳥は祈りを忘れず」のところなんて、今までの私のYUKIに対する頭が悪そうな(失礼)イメージを吹っ飛ばすような文学的な歌詞で、そういう抜群のライティングのセンスにもドキドキした。

以前、ブログのタイトルにもして、何度も聴いては背中を押してくれた「風に吹かれて」には、本当に救われた。この曲に出会ってから、私は自分の足元を見て歩くことができるようになった。


Judy And Mary 風に吹かれて Warp Tour Final Live

もし生まれ変わって 違う私でも
永遠に銀河の風に吹かれて…

こんな自分じゃなきゃよかったのにと、失ったものを眺めては何度も責めていたけれど、迷っても転んでも、果ては生まれ変わっても、このままの自分でいいんだと、この歌を聴いてやっと思うことができた。

夢中になりたいから 人を好きになるから
忘れてゆくもの 捨ててゆくもの 私が信じたもの

YUKIは、私があのとき置いていったたくさんの人やものも、「私が信じたもの」と言ってくれた。捨てていくものはどれもこれも、いらないものな訳じゃないと、むしろとびきり大切なものばかりだったことを、ちゃんと認めさせてくれたのだった。ずっと、いろんな人間関係を「私には必要なかったものだから」と無理やり思わなければいけないような気がしていた。全然、そんなことなかったのだ、ただのひとつも。

今年大ハマりしたドラマ「カルテット」のすずめちゃんの言葉もそう。

行った旅行も思い出になるけど、
行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか

私はこの言葉のおかげで、人からのお誘いを断れるようになった。

女の子付き合いの中で、「大切にする」というのはどうしても食事への参加率とかそういうのが影響してくる。でも元々私は女子の団体行動が得意ではなく、苦しいことが多かった。「でも嫌いなわけじゃないし一人一人のことは好きだから」と相当気を奮わせてグループに参加していたのだが、この言葉を聞いてから、そういうのをやめた。

なんだか「行かなくても思い出になるのなら、行くのも行かないのも一緒じゃん」と思えてきたから。行かないからって、大切じゃない訳でもない。

そういえば、このことを考えるとき、思い出すことがある。
ボロフェスタという音楽フェスのスタッフをやっていたのだけれど、私は機材担当を任されて、「今からフェスで使う機材を扱うのはハードルが高すぎる」と不安になっていたら、主催者の一人に「バンドやったことある人は、アンプをある程度雑に扱えるやろ?触ったことのない人にはそれができない。だから君はそれで充分」と言われた。確かにその通りだなと思った。

友達や恋人付き合いもそうなんじゃないかと今は思う。言い方は悪いけれど、今の例えに便乗するなら、友達だからこそ、ある程度雑に扱っても許してもらえるんだろうな、と。なのに、私はどんな関係でも我慢したり、自分を折ることの方が多かった。私が人に自分の気持ちを伝えられなかったのは、私のせいで人を困らせたり傷つけたりするのが嫌だったからだ。今はそうは思わない。

そうやって、どんどん自分がほぐれていった今、特に響くのがこの曲。


JUDY AND MARY - ステキなうた

泣いてばっかりの、痩せて独りぼっちの猫はもういない。
私にとってのステキなうたは、ジュディマリだ。


■2017年に得たものは

もうしんどかったときのことなんかほとんど思い出せないし、いろんなことが以前よりどうでもいい。今の自分が楽なのは、自分への自信を取り戻したおかげで、なんでもかんでも責任を負わなくなったからだ。体を壊して一番思うのは、自分の健康が一番大事だってこと。そのために自分の気持ちを折る必要なんか、一つもないってこと。

そういえば、「頑張った今年の年末に、自分が人に誇れるところを3つ挙げてみたら」と占いに書いていたので、考えてみたら、あっという間に出てきた。

・時間がかかっても、自分で自分なりの答えをみつけることができること
・どんなにしんどいことも、最後は「良かったね」と、いい結論に昇華していけること
・自分の気持ちを言葉にできること

そういう風に自分を誇れる一年だった。


■最後に、忘れたくないこと

どんなに人に「適当に生きな」とアドバイスをもらおうが、それが「自分にとって楽な方法なのだろうか」と考えたときに、楽じゃないものもいっぱいあった。私は適当すぎると、逆に不安になるのだ。だから、アドバイスをもらいながら、一番楽な「ちょうどいい」をみつけられるのは自分しかいないと思う。人の言葉を鵜呑みにしないことを、このとき覚えた。

例えば、私はカープの大瀬良のこの記事を読んで、大瀬良のことがより好きになった。

number.bunshun.jp

大瀬良といえば、今年、阪神の藤浪の死球を受けながらも、藤浪の精神状態を心配してか、笑顔で返したというエピソードがある。この対応には「真剣勝負をする身としてどうなのか」と賛否両論があったが、大瀬良の行動なら納得がいく。大瀬良は、もとより優しい性格で、障がいを持つ弟との心温まるエピソードは有名だ。

だが「そんな優しい大瀬良では勝てない」と厳しい言葉も浴びせられてきた。その中で…私は、この記事を読みながら、「大瀬良は、優しい自分が一番楽なんだろうな」と思う。優しさこそ、大瀬良らしさだ。その中で強さをみつけることは、きっとできる。

私はやっぱり真面目すぎるといろんな人に言われる。
でも、こうやって時間がかかっても、自分で自分なりの答えをみつけることの方が、性に合っている。そうすれば、二度と同じことでは悩まなくなるからだ。自分でみつけた答えには、そういう説得力がある。ある程度楽観的になった分、根本は変わらなくたっていい。そういう自分とのうまい付き合い方が大事なんだと思う。

 

この一年の充電期間が、どうかお守りになりますように。私はどんどん自分が愛せる自分になりたい。可愛くなりたい。中身も外見も魅力的な自分になりたい。ヘアアレンジが大の苦手でずーっとボブヘアに逃げていたけど、最近は髪を伸ばして、ついにコテを買った。毎日、ワックスをつけてゆる巻きを練習している。今の自分は、きっともっと良くなると信じている。

私は、逃げなかったことをちゃんと残しておきたかった。ここまで読んでくれた人がいるかはわからないけれど、年末に、駆け抜けたこの一年を、自分への備忘録として残しておきたかった。

どうか来年は、最高な2017年よりも、さらに素敵な一年になりますように。まだ少し不安だけど、きっと繋がってる。2016年もそうだったから。

2017年11月25日 平賀さち枝 まっしろな気持ちで会いに行くツアー@京都UrBANGUILD

とてもとてもよかった。込み上げてくるたくさんの気持ちがあった。ライブが終わった後、「帰りたくない」そればっかり頭の中に広がって、仕方なく、1人三条のスターバックスでぼーっとしていた。鴨川を挟んだ三条京阪のネオンが私は大好きだ。
京都で遊ぶようになって何年も経って、寝てるとき以外は京都にいるくらいなのに、いまだに山科を経由して三条に降り立つと、三条大橋から鴨川の写真を撮る。どこにアップする訳でもないのに。それくらい、どうしようもなくワクワクしてしまうのだ。観光客で忙しい場所のはずなのに、ゆっくり時間の流れているこの風景が、とてもとても愛おしい。

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さっちゃんのライブはとても久しぶりで、ワンマンは初めてだったかもしれない。一曲目に、河原町がどうとか、東山がどうとかいう、京都の男への失恋の曲をカバーしてて、それがとても良かった。終わった後に物販で曲名を本人に聞いたら、「京都慕情っていうんだよ、youtubeにもあるよ」と教えてもらった。


京都慕情 - 渚ゆう子

 

この日のライブは京都で観れて、アバンギルドで観れて、本当に本当によかった。京都の曲なんて一曲目だけだけど、あまりにたくさんの日常のワンシーンに馴染むさっちゃんの曲は、私の京都のたくさんの思い出に溶けて消えていった。大学も、社会人も、今も、ずっと。

今日のライブを観ながら、さっちゃんに伝えたいことがたくさんあるなあと、何を話そうかなと考えて、たくさんのやりとりをバカみたいに想像していた。そんなとき、彼女が歌っていた目黒川の「叶わぬ夢が いまだ心の中に それでもこんなに輝いて」という歌詞が頭の中に妙に響き、胸がいっぱいになった。大切なことは、大切にしたままでいいことを、そうやって歩いていくのも間違いじゃないと、私は今年たくさんの言葉の中で学んだのだった。

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当たり前の言葉が、さっちゃんの曲に乗ると、とても輝いて聞こえる。それがどれだけかけがえのないもので、愛おしい言葉だったかを、教えてくれるように。使い古した言葉が、丁寧に磨かれるように。

特に、新譜の「あけましておめでとう」を聴くと、そう思う。
私はこの曲が一番好きで、私が平賀さち枝を好きな理由のほとんどが詰まっていると感じる。

あけましておめでとう 今年もまた
大切なあの人の 笑顔が輝くよう

社会人になって最初か2回目の年末、箱根の温泉旅館で年越ししたことがある。

せっかくここまで来たなら特別美味しいものが食べたいという想いで、たまたまみつけたミシュラン一つ星の四千円のうな重を食べに行った。「ホイッスル!」の主人公と同じ名前の最寄り駅だったのを、よく覚えている。

行列を並びながら店内を見ると、みんな笑顔でうな重を食べていた。
正月だったこともあってか、家族連れのメンバーは、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、その子供という組み合わせがとても多かった。老若男女問わず、うな重が「美味しい食べ物」、そして共通の「幸せ」の記号として成り立つやわらかくあたたかい光景に、なんだかとてつもなく胸を打たれてしまった。

うなぎが高価で美味しい食べ物なのは周知の事実だけれど、その「当たり前」がその場の幸せをすべて食い尽くすような光景を、とても美しく感じたのだった。なんでもない光景なはずなのに、胸にグッとくるものがあった。みんなが揃って笑顔になれるものって、この世にたくさんはないと、私は思う。

そのときのことを、この曲を聴くとよく思い出す。
当たり前の言葉や時間が、かけがえのない価値を持って、目の前で光って見えるから。

「あけましておめでとう」という言葉だって、新年を祝う愛おしい言葉だったよな、と、そう思うのだ。

さっちゃんの歌には、そういう力がある。

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さっちゃんは歌詞を何度も忘れていたし、そのたびに演奏をやめては一生懸命絞り出すようにして歌詞を思い出していて、もう何年も前、大森靖子がさっちゃんを「出来上がってる子」と言っていたのは、音楽センスはもちろんだけど、こういう計算の入り込む余地のないドがつく天然具合が醸し出すどうしようもない可愛さなんだろうなと思った。とっても可愛くて、男性客がほとんどを占めているのもよくわかった。

ライブ中、突如始まった質問コーナーがあり、初めてこういう機会に手を挙げた。「いつも可愛い服着てらっしゃいますが、どこで買ってるんですか?」という間の抜けた質問だけど、ずっと気になってたので聞けてよかった。「ユニクロとかGUばっかりだよ!渋谷や原宿にも行くけど」とのことでした。

物販で、関西でも女子会をしてねとお願いして帰った。「さっきは質問してくれてありがと」と言ってくれて嬉しかった。アイドルの握手会みたいに、少ない時間で何を伝えるのか必死で、失礼な態度を取っちゃったかも。でも、いろんなこと聞けたし、特に手を挙げて質問したことなんか「私、もうこんなこともできるようになったんだ!」と、嬉しかった。今までならきっとそんな勇気なかったな。いろんなところで、私の一年の軌跡を感じる。

 

なんだか今でも余韻に浸れるようなそんなライブだった。こんな日に一人酒を飲んで帰れればよかったのにと、思う。
地下鉄は情緒がないとかいう理由で、京都慕情を聴きながら、わざわざバスに乗って帰った。

秋の行楽のきろく

今年は本当に友達に恵まれた一年だなあと思う。 

しょうもない遠慮がなくなったおかげで、誰とでも気楽に会えるようになったし、会いたいと思えば自分で場を作るようになった。例えば、小学校の頃大好きだった担任とうちの母親が、仕事の関係で会うことがあると聞いて、母親を通じて即コンタクトをとって、同級生を呼んでプチ同窓会をしたり。やりたいことがあれば、未経験の遊びでも自分が中心となって人を集めて企画したり、そういうことを簡単にできるようになった。振り返ると、 今までは、気が付かないうちに「自分なんか」なんて考え方が、自分の行動のいろんな部分に障害をきたしていたんだなあと思う。そんな考え方はこの一年でほとんど捨てた。

今年できるようになったことを挙げたら本当にきりがない。もう、私はこういうことが言いたくて仕方がないのだ。だって、自分が今までより良くなったこと、できるようになったこと、嬉しくて誰かに伝えたい。私はどんどん新しい自分になっていくのが、最高に楽しい!!きっと、死ぬまでずっと。

という訳で、最近いろんな友達と行った、秋の行楽のきろく。

有馬温泉

最近、なんと玉の輿に成功したお友達に会員制のホテルに格安で連れて行ってもらい、夜は女三人で有馬温泉駅近くの居酒屋で楽しんだ。 

居酒屋ゆたか

居酒屋ゆたか、もう最高!文句なしの今年ナンバーワン!こんなに具合の良い居酒屋、初めてかも!!という庶民向けの居酒屋。店主が一人で料理を作っているこじんまりとしたお店で、近所のおっちゃんも来ていた。これはタイのあら炊き。美しい〜。

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どれもびっくりするくらい味付けが丁寧で美味しいのに、ありえない程安い。だいたい600円~800円前後かな?もし家の近くにあったら、確実に常連になるだろう。白子の天ぷらとホイル焼きが選べるのもポイント高い。もちろん、大粒のカキフライも!

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しこたま食べて飲んで、一人4600円。「このクオリティ、梅田だったら一人8000円だね~」と言いながら帰った。この店のためだけに有馬に行きたいくらいおいしかった。有馬って高級ホテル多いし、ホテルの懐石食べる人多いと思うけど、この楽しみ方安くて美味しくておすすめです。3回温泉に浸かって、夜中はひたすらデビュー当時の松浦亜弥を絶賛して動画見て、早めに梅田に帰ってきた。友達の家で、初めてクレイジージャーニーを見たけど、めっちゃくちゃ面白い。東京方面でしか見れないそうですが、ツタヤでDVD借りて正月とかにダラダラ友達と観たりしたいなー。

石山寺

紅葉のライトアップ見に行ってきた。 建物だけの良い写真がなかったので、すみません…。
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遊び方も随分変わって、以前はメトロなどのクラブで会っていた友達の内、滋賀のメンバーで遊ぶようになった。「誰か暇な人ー」と言ったらだいたい何人かが集まって、中華食べに行ったり早起きして朝市に行ったり、琵琶湖沿いで美味しいパンを買って出かけたり、地元ならではの遊び方ができて最高、超楽しい。そんな友達の車に乗って、その中でも特に暇なメンバーでGO~

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石山寺は幼少時に行ったきりで記憶がない。久々に行った印象は「高低差があり高いところからも楽しめる新鮮なお寺」だった。植えられている木の背も非常に高く、視界がなかなか夜空にたどり着かない。天井のたかーい部屋にいるような、不思議な感覚。夜に行ったから周りが見えずらく、よりそういった印象を受けた。

さらに、大きなお堂?に続く道に沿った岩が非常に大きく、迫力がある。県外の友達が観光に困っていたら是非連れてきてあげたいような場所でした。

叶匠寿庵も併設されてて、石餅食べた。おいしかったー。コンパクトに観光できておすすめ。

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帰りは浜大津で有名なハワイアンカフェに行ってごはん。おいしかったです。ガーリックシュリンプと、アヒポキ。

HAWAIIAN Kitchens
〒520-0047 滋賀県大津市浜大津1-4-1 旧大津公会堂B1
2,000円(平均)1,300円(ランチ平均)

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■MIHO MUSEUM

石山寺の翌日、早朝からまたも石山駅へ。バスで信楽の山奥にある「MIHO MUSEUM」へ。宗教団体が運営しており、パンチの効いたデザインでずっと興味があったのだけれど、新潟から遊びに来た友達とやっとこさ行けました。

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このときの展示は「桃源郷はここ」というタイトルだっだのだけれど、あまりにそのコンセプトに合った世界観で驚いた。 こう、メインの建物までいちいち距離や手間のかかるところなんかはよりそういう気持ちにさせてくれる。

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奥に見えるのが美術館。歩いて近づいていくたび、この景色が前述の桃源郷を思わせた。

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チケットを買うエリアから、上記の美術館まではトンネルを抜けて徒歩約10分。不思議なトンネルを抜けて、その先に広がる静かで美しい景色。山奥でこの美しい美術館以外はほぼ何もない。
私は朝一番のバスで行ったので、人が少なく、宗教施設を思わせるような静かで不思議な空気を感じることができた。朝一、本当におすすめ!帰りには人がごった返していて、これほどの雰囲気は全く感じられなかった…。完全に観光地化していたし、こんなに人の少ない写真を撮ることは朝しかできないと思う。

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ほとんど人の見当たらないトンネルからゆっくり静かに真っ白な電気自動車が人を運んでくる異様な様子は、スターウォーズのストームトルーパーが大量生産されてるエピソード(何個目か忘れた)のような、なんだか無機質かつ清浄な、そういう下界とは隔離された不気味な感じがした。
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決してここの信者が乗っているわけではないんだけど、乗ってる人が全員信者に見えてしまった。車のゆっくりとした動きも、すべてが異世界感を放っていたから。この独特の空間に私のテンションはブチアゲ、めっちゃ楽しい…!まあなんてったって、ここの建築、超有名なルーブル美術館のピラミッドを設計したIMペイがやってるらしいですし。宗教団体ってお金持ってるんだね、本当に。

美術館の中身については、私みたいな全然知識のない人間から見て、展示の目玉は伊藤若冲の「象と鯨図屏風」かなあ。

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あと、世界に4個しか現存しないと言われている「曜変天目茶碗」が展示されていて驚いた。正式には世界で3個で、これは内側にしか曜変がないタイプとして4個目に挙げられてるみたいですが。そういや、今日ここに一緒に来た友達に、大学のとき「へうげもの」貸してもらったなーとか考えながら見ていた。

 

へうげもの(1) (モーニングコミックス)

へうげもの(1) (モーニングコミックス)

 

 

普段常設の展示に行くというよりは、企画展みたいのばっかり行ってるレベルの私からしたら、「有名な人が作った目玉作品はほとんど置いていないけど、その時代の古くてきれいな状態の作品がたくさん展示されている」というイメージでした。なので、見ごたえはめっちゃあったし楽しかったけど、普段から美術館に行ったりしない人には少し退屈かもしれない。その場合も、美術館の施設内に入らなければ無料なので、是非建築だけでも楽しんでー。

レストランは超混雑してました。ここしか食べるところないからね。行列もすごかったので、バスの時間(1時間に1本なので)を意識しながら、下山して石山駅で食べるのがおすすめかも。美味しそうだったけど、定食は1800円くらいして高かったし…。

私は我慢して、石山駅近くの洋食屋さん、イマムラキッチンでご飯食べた。えびクリームコロッケ定食、サラダがたっぷりで美味しかったー。スープ、ライス、サラダ付きで800円前後だったかな。 
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https://tabelog.com/shiga/A2501/A250101/25000227/


石山って何にもないイメージだったけど、最近は駅近に美味しいお店がたくさんできているみたいなので、開拓したい!

ここも行ってみたい。洋食っていいよね。 

グリル ストーブ (GRILL STOVE) - 石山/洋食 [食べログ]


夜はここも美味しそう。 

石山グリル - 石山/バー [食べログ]


石山ってバンドで音楽スタジオ使うためにしかほとんど降りたことなかったけど、会社帰りにふらっと降りてごはん食べて帰るのアリなのかもしれない。

夜はいつもの京都タワー地下へ。

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私ここの何が好きって、大好きなお寿司をちょろっと良いタイミングで食べられることだなー。大起水産のオーロラサーモン、大好き!あとえびサラダ美味しい。 

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その他の紅葉狩りは、近場でハイキングしたり。コンバースで30分ほど山登りして、おにぎり食べて帰った。

昨年までは紅葉は毎年大好きな醍醐寺に見に行っていて、やっぱり京都の名所はさすがだなと、今年行ったところと比べても思うけれど、今年はどこに行ってもなかなか楽しめた。フジロックもそうだったけれど、本来の目的である観光やライブよりも「誰と一緒に観たか」の方が記憶に残っていて、その一つ一つが全部別の友達で、とても嬉しい。

残念ながら、逆流性食道炎になってしばらく体を壊していますが、ようやく回復の兆し!年末までヨガで体絞りながらばんばん飲みにも行きたいところです。まずはあと一週間、めざせ禁酒。

日記(11/8)

ひっそりホットヨガを始めて1か月経った。

楽しくて気持ちよくて仕方がない。転職活動のストレスで、「もういややーー!!!ずっとやりたかったこと、やったるーー!!!うおーーーー!!!」の勢いで体験に行って即契約し、今や週3くらいで通っている。本当に始めてよかった。眠りはとても深くなるし、今まで見た目や体型をすごく気にしていたけれど、少し自信がでて、10年ぶりくらいにスキニーパンツを買った。とても嬉しい。元々脚には自信があったはずなのに、すっかり忘れていた!

とりあえず、前よりも体の線がわかるような服を着るようになった。どんなに思考や内面が変わっても、それが見た目にでることはなかったので、こんなに嬉しく楽しいことはない。最近は服や化粧品をたくさん買っている。伊勢丹大好き!

そしたら、あんなに「次は絶対やりがいが欲しい」とか言っていたのに、「次仕事をするなら、ホットヨガを続けても余裕があるくらいのお給料と定時退社」が優先順位の最上位にきてしまった。激務のベンチャー企業から超ぬるま湯の会社に転職し、そのギャップに2年以上、相当苦しめられていたのに。

こんなに簡単にいろんなことが解決するなんてね。
始めてみてよかったな。
全部今の余裕ある自分だからフックになった訳だけど、どんなことがきっかけになるかなんて、わかんないもんだなと思う。
やっぱり私は、自分が変わっていくことや、何かできるようになることが一番楽しい。社会人になってから、ずっと言い続けている。

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最近、今年一幸せだなあと毎日感じている。
理由は、友達が結婚したことや、そこにがっつり関わることができたこととか、たくさんあるだろうけど、そういう理由を考えるのも野暮だ。ホットヨガして食べて寝てるだけなんだけど、要は決定的な悩み事が少ないからなのかもしれない。

村上かつら短編集」という漫画がある。実は漫画の内容よりあとがきが忘れられない。「特に理由わかんないけど、なんか幸せだなあ」という感じに包まれたときの話があって、「まさにこれだー!!」と思った。

少し酔っ払っているような気分に近い。
早く起きなくちゃいけないのに、諦めて布団でムニャムニャしてるときとか、高級焼肉を食べて満腹なのに、さらに大好きなケーキを目の前に出されて「もういいですう~」と言ってるときのような、なんだか漠然と目の前にあるタスクや価値ある何かを全部無視して欲求のまま生きている気持ちよさが、今の幸福感に繋がっている。だから余計に言語化したくない、ずっとムニャムニャ、靄のかかったような幸せの中にいたい。そんな風にして、私にしては、最近金も使いまくっている。
生理くるのやだなー。きっとこの期間が終わってしまう!!

どうでもいいけど、今のムニャムニャしてる時の自分は、大好きなうるにゃんのこのスタンプのイメージ。うるにゃん超かわいい。

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それでもやっぱり、「なりたかった27歳の私」になっている友達を見ると、悔しいし、悲しい。せめて仕事だけでもなあ、と思うけど、この白昼酔っぱらい期間を年内までは続けていたいなー。とも、思う。

一番最初のブログで「今の自分が好きだったら、過去のすべての選択を肯定できるはず」といった内容を書いた。けれど、今はあんまりそう思わなくなった。その時には「そう考えるしかなかったギリギリの自分」というのがいたけれど、今は余裕たっぷりなので、たくさんの出来事に対して「あのとき、ああしていれば」と、毎日のように考える。

そのときには、どうしてもそれができなかった自分がいるのも頭ではわかっているから、後悔は浮かんでは消えるけれど。

でも、言い方を改めるのなら、「あのときああしていればと思うことが、今の自分ならどれもできるのに」という感じ。本当に、そう思う。

生きるのは難しいな。けど、そういうのも、今の自分を使って向き合ったり巻き取ったりしていきたい。同じことへの対処法も、きっとうまくやれたとしても、「あのとき」と「今」では雲泥の差だ。

 

今日もホットヨガ楽しかった。帰りに京都駅で渋っていたブーツを買って帰った。これは絶対安くなるはずと踏んで1000円引きのときから粘ってたら4000円引きになっていて、ガッツポーズした。

結婚式

いろんな人からの連絡に返事もせず、眠りたくなくて、本棚をぼーっと眺めている。こんな気持ちの時に読むべき本や漫画や音楽が私の部屋にはたくさんあるはずなのに、すぐに思い当たらない。いつも私は自分の身に覚えのある感情との重なりを求めて漫画を集めるから、自分の経験したことのない気持ちに合うものは、部屋の本棚にはあまりないのだろう。

私は自分に自信がなくて卑屈で、それでずっとたくさんの人に迷惑をかけたり、歩みを進められないことがたくさんあった。自信が持てるようになってきたのは、最近。どん底まで落ちてから這い上がるために、自分の考え方のほとんどを「私はこれでいいや」と思えるようになったからだ。私はもう、こんな風に思えるようになったならこれでいい、人生万々歳だと思っていたのだけれど。

心から大事な友達の結婚式があった。 

自分が思っているよりも、自分のことを大切に想ってくれている友達がいるのだと知った。

自分の自信のなさは、もしかすると対人関係に一番影響があって、「私は所詮この程度の関係だろうから」といろんな人に常に思い続けていたのだと、この三連休でハッとした。

人から大切に想われること、それは自分の力ではどうにもできないことで、きっとこの結婚式がなかったらこんなに大切にされていることに気付かなかった。

二次会の幹事をしていたので、二次会BGMの編集をしている友達に思い出の曲をいくつかセレクトして送っていたけど、初めてライブハウスで出会った時のバンドの曲は送らなかった。私もずっと聴いてなかったし、友達も曲を覚えてないだろうなと思ったから。

でも披露宴でそのバンドの曲が何曲か使われていて、それが本当に嬉しかった。きっと覚えてなんかないよなんて思っていた自分が恥ずかしかった。

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一緒にスーパーカーコピーバンドやってたときのWHITE SURF style 5.が流れたとき、コピーしたことも完全に忘れていたので不意打ちでめちゃくちゃに涙が出た。

私はとても記憶力が良い方だと思っていたのに、私よりも私との思い出を覚えてくれていたことがとてもとても嬉しかった。披露宴のBGMが涙の引き金になったのは初めてのことだった。OCEANLANEも、スーパーカーも、私が出席していなければ、きっとかからなかったと思ったから。 

私は前述の自信のなさのせいで、親友という言葉を使う自信がない。特に女友達においては。これはお互いの同意の上で初めて成り立つ言葉で、自分がどんなに想っていても相手が想っていないとどうにもならないからだ。私は両思いへの絶対的な自信がなかった。

さらに友達をランク付けしているようにも聞こえるから、自分から使ったことは人生でほとんどない。図々しい言葉だなとすら、思っていた。

でも今なら使えるなと、世界で誰より可愛い花嫁姿の友達を見て思った。結婚式はとても良い席を用意してくれた。大変だったけど、振袖着て行ってよかった。二次会の幹事も任せてくれて嬉しかった。

式が終わってから、ドレスを脱いで、疲れて少し不安そうな顔で私の名前を呼んでくれたとき、二次会準備で急いでいてなんもしてあげられなかったけど、その瞬間、可愛くて可愛くて仕方なかった。きっとこの子のこんな心許ない声を聞ける人間は、この世にそんなにいないと思ったから。

自分なんて、と思うのをさっぱりやめたつもりだったけど、今度こそもう終わりにできる気がする。自分が思っているよりも、私がいろんな人の人生の中で生きていること、それをとても大切にしてくれる友達がたくさんいることに気付くことのできた、とても幸せな三連休だった。

結婚、本当におめでとう。私は幸せ者だと思う。私が私でいるための大切な記憶がまた一つ、増えた。

広島カープが変えてくれたこと

2016年夏、我が家は約10年ぶりに家族旅行に行った。
はっきり言って、奇跡のようなことだ。家族旅行なんて、疲れるだけで行こうとすら思わなかった。
少し前までは、家族団らんの中心になるはずのリビングの存在にプレッシャーを感じる程、自分の部屋にいる時間が長かったけれど、今は野球の試合のある日の半分くらいは、大きなテレビのあるリビングに全員が揃う。そして、たとえ最初から最後まで見た試合でも、みんなで報道ステーションの熱盛を見てから寝る。応援しているチームがハイライトで紹介されるのはとても嬉しい。youtubeで見るのとは、なんか違うのだ。

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■家族が家族らしくなったきっかけは、広島カープだった。

父は40年以上、弟は友人の影響でここ5年程カープファンである。私はインドア派のオタクなのでスポーツはするのも観るのも大大大ッッ嫌いだったが、つば九郎が見たくて行った2016年6月5日(日)オリックスVSヤクルトの交流戦で、先入観がすべて打ち砕かれた。小学生の頃散々プレイしたパワプロサクセスモードを思い出す神宮球場の風景に、ぴりぴりと体が震える程感動した。小さいと言われがちだが、私にとってほとんど初めての野球場は、とてもとても大きく見えた。

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試合は、7回表の時点で13-1。どうあがいても巻き返せないであろう状況だったが、ヤクルトは7回裏の攻撃で4点を入れ、そして9回裏には山田哲人が3ランHRを放った。一緒に観ていた恋人は、「負け試合だけど、野球として見てて面白いよね」と言っていた。なるほど、負けているにも関わらずワクワクするこの気持ちはそういうことなのかと、とても腑に落ちた。

目の前では、派手なつけまつ毛をしたギャルが黄緑色のユニフォームを着て、携帯で応援歌を確認しながら「ワッショイワッショイ」と一生懸命一人で歌っていた。ギャルと野球というギャップが新鮮で、それすらも楽しかった。
全身ヤクルトグッズなのに、横のヤクルトファンの女性と話すときだけ顔を上げて、あとは携帯を見ている男の人もいた。野球場は、想像以上にいろんな人やドラマのある場所だなと思った。

結果は14-9での敗北。負けたけど、一生懸命追い上げようとするヤクルト打線を見ていたら、胸が熱くなって、自然と選手の名前も覚えてしまった。つば九郎はもちろん、かわいい傘の応援パフォーマンスと、山田哲人のホームランが見れて、とても嬉しかった。私は全く野球に興味がなかったので、山田哲人の存在自体、この日知ったのだが。その日は二回も乱闘騒ぎが起こっていて、弟にLINEしたら「そんなことあんまりないよ」と笑われた。

野球のルールはあんまりわかっていないけれど、それでも一生の思い出になるくらい、楽しかった。私はこの日のことをきっと忘れない。
このままヤクルトファンになってもよかったけど、せっかく家族がカープファンなので、家族と一緒にカープを応援することにした。

■あっという間に決まった家族での観戦計画

帰宅後、どれほど野球観戦が楽しかったか家族に散々話して、思いついたように甲子園に試合を見に行きたいと言ったら、すぐに話が進み、父と弟と三人で見に行くことになった。父がとても喜んで、そのままネットで私の分のユニフォーム(しかもハイクオリティ)を注文してくれた。私は選手のことを全く知らないので誰のユニフォームを買うかは父と弟に任せた。二人は相談の末、背番号12、九里のユニフォームをポチっていた。

九里は昨年、今年ほど活躍していなかったので、今思えばなんでフォアボールも知らない娘の1枚目が九里なんだよという感じだが、父と弟はかなり天邪鬼なところがあり、それゆえ関西在住でありながらタイガースファンではない。そして、今本調子ではない選手や将来性のある選手を応援したいという気持ちが強いらしい。弟は「菊丸新井は好きだがユニフォームは買わない」と決めており、ユニフォームはいまだに背番号20だ。弟は彼がまた活躍することを本気で願っている。そういう訳で、私は父と弟が応援している九里のユニフォームを着ることになった。

■遂に初の家族での野球観戦。そこで目にしたものは…。

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念願の甲子園球場へ応援に行った。弟は何度もカープの応援に行っているので、弟についていくような形になった。いざ試合が始まると、父と私は、家では見たことのない弟の「ルナーーーー!!!」というエクトル・ルナへの大きな声援に完全に面食らってしまった。父はあまりに驚いて、チワワのような大きな目を普段以上にぱちくりさせて、「なんや今の、すごない?」とでも言うように、何度も意味ありげに私の顔を見た。弟は家族のそんな様子にすら気付かない。

「同じ屋根の下で暮らしているのに、家族の家の外での様子を何も知らないんだな」と、普段は口数の少ない弟の大きな叫び声を聞きながら思った。新井も誠也も活躍していたけれど、一息で威勢良く叫べる弟の「ルナーーーー!!!」が一番迫力があった。私もどんどん愉快になってきて、見様見真似で応援した。応援歌はわからないけれど、選手の名前は叫べる。一緒に楽しんでいることが、弟にも伝わればいいと思った。

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試合には勝ったし、とても楽しかったけど、それよりも父のまんまるの目が一番印象に残った。なんとなく、「行ってよかったな」と思った。甲子園球場前でユニフォームを着て三人で撮ってもらった写真を見た母は「お父さん、ずっとカープ好きやったもんね、よかったね」と何度も嬉しそうにつぶやいた。そういえば、「お父さんも一緒に行こうよ」なんてお誘いをしたのは、一体いつぶりだっただろうか。

私たちのとは違う、父の赤い縦縞のユニフォームは、写真の中で一家の大黒柱の威厳を放っていた。

■選手の活躍に、自分のことのように涙を流した

2016年クライマックスシリーズの頃、私は仕事や人間関係のストレスで体調を本格的に崩し始め、生活のすべてがギリギリの状態になる。毎日涙が出るほど苦しかったが、誰とも連絡を取りたくなくてSNSを利用しなくなった代わりに、カープまとめサイトを見ることが日課となり、それが唯一の心の支えとなった。応援している選手達の活躍に本当に心が癒されたのだ。

彼らの活躍を見るたび胸がギューッとして、嬉しくってついでに涙までポタポタと搾り取られていく。私は感受性が強い方なので、ちょっとグッとくる泣きメロの曲展開やアーティストの復活などには人一倍胸を打たれてしまうけれど、そんな機会自体、いつもは月に1回もあるかどうか。でも、野球は1試合1試合にドラマが存在しているから、胸がギューッとするタイミングが2、3日に1回はある。誰かのために一生懸命応援する気持ちがどれだけ前向きで健康的で幸せなことなのか、元気になっていくたびにひしひしと感じた。私は今でも、やりきれない気持ちのときは、カープが昨年リーグ優勝したときの黒田と新井が抱き合っている動画を見る。

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「新井と黒田が抱き合って…それをみんなが笑顔で囲んでいます」この実況と実際のシーンのなんと素晴らしいことか。ラジオで聞いていてもその姿を想像して号泣しただろう。緒方監督が泣いている黒田と新井を指さして、それを囲む選手たちが本当にうれしそうに笑っていた。そこには例えようもないような、あたたかさが溢れていた。

家族でも恋人でも友達でもない、自分以外の誰かの活躍で胸がいっぱいになる経験を、野球は教えてくれた。アイドルを好きな人の気持ちも、ちょっと分かった気がする。突然ブレイクするのではない、みんな根底には努力があり、不遇な時代を乗り越えて活躍していくのだ。私も頑張らなくてはと、思う。

■私利私欲にまみれた広島旅行での、親孝行

2017年、開幕したら、家族でマツダスタジアムに行こうと話が進み始めた。そのことを年上のカープファンに話すと「お父さんは嬉しいやろうね。だってずっと好きだったんでしょ、カープ。それを子供が好きになって、一緒に広島まで観に行けるだなんて…。ほんまの親孝行やと思うよ。」真剣にそう言って、チケットを取るのを手伝ってくれた。おかげで無事にマツダスタジアムの指定席4枚を手に入れることができた。

正直、この反応は想定外だった。私が家族で広島に行く理由の9.9割が「タダでズムスタで試合が見れるぜ!!ヤッホー」という超私利私欲にまみれた理由だったので、こんなに感慨深い言い方をされて、初めて「確かに親孝行のチャンスなのかも」と考えるようになった。

「父の運転でタダで連れてってもらう訳だから、何かしてあげようか?」と弟に相談したら「新しいユニフォームを買ってあげようよ」とナイスアイデアをいただいた。カープファンというほどでもない母には、一緒に応援できるようにかわいい応援スティックをプレゼントすることにした。

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旅行の少し前に、ちゃんとラッピングして、父が好きな福井のユニフォームをあげた。あんまり顔に出さなかったけど、結構喜んでいたんじゃないかと思う。父は人当たりはいいが、友達が少ないので、こういう時どういう反応をすればよいのかわからないのを、家族はよく知っている。

そして広島旅行当日。

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しかしまあ、マツダスタジアムに行って痛感した。家族旅行はボランティア精神がないと成り立たない!!!元々たいして仲の良い家族ではなかったことを一気に思い出す羽目になり、愕然とした。

遠慮なくすぐに文句言う母(弁当にも文句つけられそうだったから、買った弁当の中で一番美味しそうな丸佳浩弁当をあげた)、要領が悪くチンタラしているせいで試合に間に合いそうにない父…。弟と二人でコンコースを歩きながら、大きなため息がでた。「家族旅行はマジで疲れる。タダで試合を見れる分、我慢が必要な点が多すぎるよな。」と愚痴ったら、弟が大きく縦に首を振った。「わかる。ありがたいけど、まじでイライラするよな…」と。

こういうとき、弟がいてよかったなと心底思う。弟と家族の話をする度に、運命共同体というか、ああこの世に一人しかいないきょうだいなんだなあと思う。父と母のもと、その家族の渦の中で育った子供は、その空気の一つ一つがわかるのは、この世に私と弟しかいないのだ。

それでも、弟はマツダスタジアムの誰もが楽しめる自由な設計にキャーキャーと感動している母に声をかけ、試合中にわざわざコンコースを案内していた。父にも母にも文句を言いたい場面はたくさんあったが、私も弟もぐっと堪えた。二人にも楽しんでほしかったのだ。

対戦相手のヤクルト打線はいまいち振るわず、勝利したとはいえ試合としては特別面白いものでもなかった。けれど、マツダスタジアムにいるだけで夢が叶ったような気持ちになれたし、「試合でない部分にイラッとする後味」は私たち姉弟に妙な満足感と結束力を生んだ。

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弟とは、その日の夜、酒を片手にホテル近くの広島の街を散歩して歩いた。弟とそんなことをするのも、初めてのことだった。
私たちにとっては親孝行、父母にとっては、子供を喜ばせるための旅行という目的が果たせただろうと思う。マツダスタジアムの鯉の壁面画の前で、母にもユニフォームを着せて真っ赤な四人の家族写真を撮った。

翌日は原爆資料館平和公園を観光した。正直この一泊二日はかなりクタクタになったが、いい思い出になった。家族でここに来た意味は、確実にあったと思う。

■遂にカープ2連覇、胴上げの瞬間に立ち会う

M2になったあたりから一家にはソワソワする空気があったが、私が個人的に9/18甲子園のチケットを取っていたので、「まあマツダで決まるだろうけど、もし負けた時胴上げ見れるかな…」と余裕を持って応援していた。
が、本当にマツダで優勝が決まらないという展開に…。

んなアホな!これはもう甲子園で決めるっきゃないっしょ!!!

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という訳で、家族を置いて友人と意気込んで甲子園に行った訳だが、本当にリーグ優勝の瞬間に立ち会えてしまった!!!!

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ファン歴2年にも満たない小童がこんな貴重な体験をできて良いのか、申し訳ないなという気持ちもありながら、とてもとても、嬉しかった。緒方監督のインタビューは、選手への愛に溢れていて、涙が出た。同時に、今シーズン一生懸命応援してよかったなあとか、家族の形がどんどん変わっていったときのことが胸に頭に浮かんで、たまらなくなった。

試合中印象的だったのが、近くにいた熱狂的なカープファンのおじさん(かなり頑固そう)が、安部にくらわされた死球にブチ切れてかなりヒートアップしていたとき、周りの知らないお兄さんたちに「お父さん、みんな怒っとるけえのう!だから落ち着いて!」と笑顔でなだめられていて、怒り狂っていたおじさんが、困ったように笑顔を見せながらヒートダウンしていたこと。現地観戦ならではの、とても良い光景だなと思った。
阪神が負けているとカンカンに怒り機嫌を損ねていた大の虎党の生前の祖父を思い出しながら、おじさんが可愛らしく見えた。

そして優勝が決まった後、さっきの頑固なおじさんを見ると、膝に手をついて泣いていた。おじさんのユニフォームは、よく見ると裾の部分がかなりほつれている。何度も何度もこのユニフォームを着て、応援してきたんだろうなと思うと、胸が熱くなった。おじさん、よかったね。今日、ここで胴上げが見れて。

球場を出ていろんな人とハイタッチをして、そのまま梅田で祝賀会をした。いつもはそんなことしないけど、今日くらい、ユニフォームを着て街を歩いてもいいだろうと思ったし、どうしても、今日はユニフォームを脱ぎたくなかった。魔法がとけてしまう気がして。

実際に、その日の夜は、魔法がかかったのかと思うくらい、ものすごい非日常が待っていた。

梅田ではいろんな人に声をかけられた。カープファンのおじいさんが小走りで寄ってきて「今日勝ったの!?嬉しいねえ!」と試合結果を満面の笑みで聞きにきてくれた。阪神ファンのお兄ちゃんたちも「おめでとうございます!」と声をかけてくれて、「CSでまた!」と挨拶した。街中ですれ違う赤ユニフォームの人たちとは、すれ違いざまに毎回ハイタッチした。

一番嬉しかったのが、二軒目でたまたま入った焼き肉屋で、頼んでもいない特上カルビが運ばれてきて目を丸くしていると「おめでとうございます!サービスです!」と店長が笑顔で祝ってくれたこと。店長は巨人ファンらしいが「いいことがあったら祝うべきでしょう!」とニコニコしていて、大阪の街は本当にあたたかいなと、少し目の前が滲んで見えた。その店で一番高価な特上カルビは、とても美味しかった。

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夢みたいな夜だった。本当に。
優勝の瞬間ももちろん嬉しかった。でも、それ以上に、その夜の優勝を実感する出来事のすべてが本当に印象的で、今まで感じたことのない気持ちにさせてくれた。

赤いユニフォームの人たちが、無言で歩いているだけでマリオのスター状態になっている…といえば近いかもしれない。でも、ここは阪神タイガースの街だ。私たちを見て悔しい気持ちになった人も絶対にいるだろう。そういうよそ者の自覚もあるからこそ、一緒に喜んだり声をかけてくれるこの街の雰囲気に、ありがたさとあたたかさを感じた。

そんなことを考えながらウルウルしていると「まあ、ここは大きな街だからね」と言われた。本当にそれだけが理由だろうか。大阪の持つ特別陽気な優しさだと、私は思う。

■野球が変えてくれたこ

野球が好きになってから、確実に私を取り巻く世界は変わった。

・家族が仲良くなった
・友達が増えた
・以前より少し素直になった

主にこの三つの変化が大きい。

特にカープ女子という言葉はとてもありがたかった。居酒屋であろうが面接であろうが、あまりにブームになりすぎて、どこに行っても「あのカープ女子」と覚えられる。

もちろん「はは、カープ女子(笑)どうせ菊池が好きなんでしょ」と鼻で笑われることもある。タイミングもちょうど流行語になってからだし、ほとんど今の選手しか知らないにわかだ。野球の知識やルールもいまだに完璧ではない。(それでもキムショーの件など過去のカープに関する事件やコーチまで積極的に覚えているので、随分熱心な方だと思う。ここに関しては根っからのオタクパワーが強い)

でも鼻で笑われる存在なら、わからないことも「初心者だから教えて」と言えるし、それで嫌な顔をされたことはない。相手はおっちゃんなことが多いので、むしろ喜ばれる。野球のルールもいまだに完璧ではないけれど、おかげで何に関しても、前よりかは素直に「教えて」と言えるようになったと思う。

そして、カープファンになってから、友達が増えた。野球の話ができるだけで、友達作りの手段が一つ増えるなんて、思ってもいなかった。すごい!!こんなコミュニケーションツールになるなんて、本当にびっくりした。

初対面でも野球の話は男ならだいたい誰にでも通じる。よって、カープが優勝した瞬間は、この一年で増えた男友達(おっちゃん含む)数人から「モテキの一話かよ」とツッコミたくなるくらい一斉にLINEがきて笑ってしまった。

カープ以外にも、野球そのものが好きなので、いろんな選手を覚えたい。だから他球団ファンの話を聞くのは楽しいし、球宴WBCも好きだ。今年の球宴の日は「ノー残業デー」にして、家族が一斉に家に帰った。どこぞの昭和の家だよ、と突っ込みたくなるが、西友でたくさんおつまみを買って一目散に帰ってきた。

ここまでやっといてなんだが、正直球宴ってそんなに面白くないなと思ったけど、選手が普段見せない表情をしていて、なんかワクワクして楽しかった。ベンチで表情豊かな丸がかわいかった。

ということで、やっぱり一番大きな変化は家族だなあ。

たまに弟に野球のルールや用語について聞くと「そんなことも知らないのか」と呆れ顔をされるが、「仕方ないな」と言って、嬉しそうに図を描いて教えてくれる。そういえば、弟は最近私に「いい音楽教えて」と聞いてくるようになった。もしかしたら、こういうコミュニケーションが影響しているのかもしれない。

父はネット音痴なはずなのに、新聞のスポーツ欄を見まくっているせいで、家族の誰よりもカープの最新情報に詳しい。父に対しては、何かにつけて「勘弁してくれ」と思うこともしょっちゅうだが、そういうところは憎めない。趣味が少なく、友達もいない父の休みの過ごし方が野球中継に変わったのも良い変化だと思う。去年まで私は「話すこととかないし」くらいの態度をとっていたのに、驚くほど家族間の会話は増えた。CS放送への入会はおつりがでるほどの価値があった。

母は私たちほど興味がない上、カープが先制点を取られると「今日もあかんやん、負けるわ」と鬱陶しい発言が目立つが(だいたい逆転するのでそれ見たことかと思う)、CS放送への入会にも積極的で、グッズを見かければ買ってきてくれる。母は、父がずっと好きだったものに娘と息子が集い、仲良くしているのがきっと嬉しいのだと思う。安部ちゃんのことはなぜか「安部さんって人」と毎回呼ぶのでウケる。

なんだか、それぞれが外へ外へ向かっていた家族が、キュッとスリムになった感じがする。コップの中、表面張力で保つ水のように、内へ内へ。私も弟も、楽しいことがすべて家族の外にあったのだ。それはどの家庭でもそうだと思う。でも、今は家にも楽しいことがある。

「今日はこれから家にいないの?14時から試合観ようよ」
そんな風に、部屋のドアをノックされる。

家族仲が今までとは比べ物にならないほど、随分良くなった。

日本シリーズがもし決まれば、家族で広島まで観に行こうという話になっている。そうなればいい。CSはハラハラドキドキだが、どうか進出できますように…。

■最後に

長く長くなってしまったけれど、どうしても野球漬けの1年半のことを書き残しておきたかった。それこそ、「カープ女子」という流行り言葉に、一言では決して表せない、胸が詰まるようないっぱいいっぱいの私の気持ちがかき消されてしまうのが、嫌だった。

私はカープというよりも、野球そのものに、心から感謝している。それも、頭が上がらないくらい。野球がどれだけ自分自身や周りの環境を良い方に変えてくれただろうかと思うと、本当にきりがない。

今回は家族仲に主にスポットを当てているが、去年、体を壊すほど精神的に参っていたとき、選手の活躍が心から自分を支えてくれたあのときから、野球の存在は一層特別になった。毎日苦しくて泣いてばっかりでも、悲しい涙とは別の、熱を持った涙も流すことができたのだ。それがどんなに自分にとって救いだったか、忘れることが私にはどうしてもできない。野球は、一筋の光だった。

野球が面白いから、毎日がより楽しい。

音楽も漫画も大好きだけれど、今一番楽しいのは、野球。来年は働く環境が変えられたらなあと思うから、今年は休みの取りやすい会社にいる内にと、一生懸命試合を観に行った。おかげでとっても楽しかった。

CSも日本シリーズも楽しみだけれど、「やっと来た!」と思っていた野球の季節の終わりが近づくのがとても寂しい。だから、本格的に寒くなってしまう前に、次はアメフトを観てみたい。大嫌いだったはずのスポーツ観戦はとても楽しい、好奇心は尽きない。

つば九郎が見たくて行ったはずのヤクルト戦の着地点がこんなところだったなんて、想像もつかなかった。
人付き合いから何まで、とてもいい形に変えてくれた野球に感謝しながら、残りのシーズンをめいっぱい楽しもうと思う。絶対勝つぞ!カープ

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日記 (9/9)

以前ブログに書いたお姉さんと、久しぶりに一緒に飲みに行ってきた。

 

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古着っぽいオレンジのスカートにマーチン履いてて、やっぱりかっこよかった。嬉しくて超酔っぱらうことを予想して、久々にウコンを飲んでから居酒屋へ。スーベニアの話をしていたら、お姉さんは黙ってちょっと泣いていたけれど、私は気付かないふりをして喋り続けた。

お姉さんの話には、必ず女将さんの話がでてくるのだが、私はご家族のほぼ全員と顔見知りなので、大きいエピソードはだいたい知っている。お姉さんのお母さんにあたる女将さんは、業界ではちょっと名の知れた人だったので、洋楽のビックアーティストが来日するたびに招待され、ライブのためのおしゃれな服を買いに行っていたのだそうだ。女将さんの過ごした80年代はなんていい時代だったんだろうと思う。「それ以降の音楽はなんとなくで聴いてるだけだよ」とお姉さんは言っていたけれど、この前お店に行ったとき、60代の女将さんが、最近のおすすめにnujabesを挙げていたし、そういうところがやっぱりかっこいいなと思う。錦織圭選曲のコンピ、出てたからね。そういえば私も、今年のはじめの方に行った焼き肉屋で流れていたのをきっかけに、何度も聴いたな。

 

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二軒目は、食べログにも載ってないようなひっそりしたバーに連れて行ってもらった。店の玄関にはブルーハーツのポスターが貼ってあり、中にもブルーハーツのレコードが飾ってあった。お姉さんが一生懸命ヒロトマーシーの話をしているのを聞きながら、30代後半から40代の知り合いはみんな結局ベロベロに酔うとブルーハーツの話に戻ってくるんだなあと思って、ちょっと面白かった。京都の私の大好きなライブハウスでは、ここぞというタイミングでよく千年メダルが鳴っている。て、ハイロウズだけど。

ちょうど店に入ったとき、the bandのレコードがかかっていた。私はいつもthe bandを聴くと、小学生の頃大大大好きだった19の話をしてしまう。
私はケイゴ派で(マイクを持って動かない方)、今でも自分が一生懸命音楽を聴くきっかけになった大事な大事なアーティストなのだが、ケイゴの曲にcoronaという曲がある。

 

up to you

up to you

 

 

the bandの超名曲、the weightの印象的なフレーズを要所要所に使った圧倒的なセンス。馬鹿野郎、青春フォークデュオだなんて言わせねーぞ!!
そういやこれも、お姉さんのレコード店でかかっていたweezerのthe weightのカバーで高校生のときに「ちょ、ちょっとこれなんて曲ですか!?」と聞いて知った経緯があった。

やたらとバイクの曲を作る、ヤンキー、パンクなけんじに比べて、ケイゴは暗い曲が多く、お互いのソロを1枚にドッキングしましたと言わんばかりの3rdアルバムのケイゴの曲は、サイケな曲や黒人っぽい曲が多くて、つまりあまりにキャッチーではなさすぎて、小学生の頃の私にはあんまり良さがわからなかった。そのため11歳の私はけんじ派だったが、大きくなっていろんな音楽を聴くようになってからケイゴ派になった。

 

Porky Pie(通常)

Porky Pie(通常)

 

 

ソロになってから出た1stアルバム「Porky Pie」は、はっぴいえんど鈴木茂、Dr.Strange Loveの長田進、ケビン・モロニーらがプロデューサーとして関わっているんだから、音楽好きも期待を持って聴くことのできる一枚。実際超名盤。まさかシューゲイザーみたいな音にケイゴの歌声が乗る日がくるなんて。私もこんなバンドしたい…。「tururu」「ドライブカー」「cookie」とか、何度も聴いた。

これはソロ一曲目。飛び上がるように嬉しかった小6のときのことを思い出す。私はやっぱり、熱にあてられたようなあたたかい音が好きだ。PVに瑛太がでてる。

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話は19に戻りまして。もちろん青春フォークデュオと呼ばれていた326がいた頃の曲も大好きだけれど、それ以降もとても良い。特にちょっと耳が肥えてから聴くケイゴの曲は本気で感動してしまうので、騙されたと思って聴いてほしい。楽器を弾くようになってから、19時代のケイゴが緑のジャズマスター使ってたのにも気付いて胸が躍った。
19の曲だったら、「硬まれ、コンクリート」「キネマ」とかむちゃくちゃ好きだなー。

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これの5:50からの硬まれ、コンクリートが超いいんだ!!大好き、ずっとずっと。

あとはB面の曲ね。良き日々思い出よとかね。私は19の弾き語りスコアでコードを覚えたから、好きなコードはだいたいそんな感じ。

 

自分がカープファンになってから、またケイゴが少し近くなったなと感じている日々。会社の同じ部屋に音楽好きの男の人がいて、私がたまたま19の話してたら「あの、僕も大好きだったんですけど…好きすぎて広島大に進学して黒瀬に住んでました」と言われて猛烈に感動した。

なんかわかんないけど、20歳超えてからこういう同い年の昔の19ファンに稀に出会う。さっきまであんたポストパンクがどうこうとか話してたじゃん…振り幅…と思うけど、私もか。自分のルーツなんだよな。

 

と、話が逸れてしまったが、この日は嬉しくて、私ばっかり喋ってしまったかなと、少し反省した。

バーの果物のカクテルって居酒屋とは別世界の飲み物なんだね。イチジクのカクテルが高くて驚いたけど、納得した。二軒目の店は誰にも教えないでおく。