2017年やりたいことリスト

 

備忘録。2017年やりたいことリスト

・競馬
よしもと新喜劇観覧(できればすっちー回でドリル…)
マツダスタジアムカープ観戦
・寝そベリア
・山登り
・転職
・タイコクラブ
フジロック
ゴアテックスのマウンテンパーカー買う
・ZINEつくる
・体調を万全にする
・ヨガ
ZARAのジーンズを履く
・みんなでびわこバレイ行く
ボードゲーム会する

【済】
・バッティングセンター
・ブログを始める
 

 

春と盆暗/熊倉献

とにかく装丁の色合いが抜群! 自分の部屋に漫画を飾れるスペースがあるなら飾りたい! ここ最近の漫画の中で、ダントツでジャケ買いする人が多いのでは…

 

春と盆暗 (アフタヌーンKC)

春と盆暗 (アフタヌーンKC)

 

 

この漫画の帯は、「どうして君みたいなエイリアンを好きになってしまったんだろう」

でも、実際はエイリアンとの恋愛漫画ではなく、エイリアンのように何を考えているのかさっぱりわからない女の子達と、冴えない盆暗主人公との恋愛短編集。
例えば、イライラすると頭の中の宇宙で標識をぶん投げて、惑星に刺してその場をやり過ごす女の子。美味しいお菓子を再現(逆再生)して作りたい女の子などなど。


どの女の子もとびきり変!一筋縄ではいかない子ばっかり! …と思っていたけれど、一周目と二周目では印象が全然違って見えるから不思議。

特に、一話目の「月面と眼窩」については、一周目はエイリアン、二周目は普通の女の子の変わった秘密のストーリーってくらい急にカジュアルに思えてしまった。


一見普通、でも他人が頭の中では何を考えているかなんてわからない。 彼女たちの不思議について、一番自分に近いものを上げるのなら、前回のブログのバーチャル杉本さんに近いのかもしれない。私は何かにつけて脳内の杉本さんに意見を乞うていたが、わざわざこのことを話したこのある人は一人くらいしかいない。

頭の中で、標識をぶん投げて月に突き刺すってのは、こういったことなんだろうなー。特別変な女の子だと思っていたけれど、頭の中の秘密を知らなければ、その辺にいるフツーの女の子。  

「月面と眼窩」は、そういう「変」なところにわざわざスポットライトを当てたラブストーリー。この作者変わってるなあ。好きになる盆暗男子たちも。


そして、なんだか私は大好きなスピッツのいろんな曲を思い出してしまった。 「春と盆暗」の中で、彼らが惹かれる女の子達の可愛さは、通常モテ評価となる気が利く・家庭的といった女子力からは程遠い。 彼女たちの変わったところは恋のきっかけになって、ツボをギューッと押してくる。 自分もこんな風にとびきり変なところを愛されたら、どんなに安心感があるだろう。そしたら、自分以外の代わりなんて一生きかないのになあ。なんて。

草野マサムネの歌詞ににじみ出る独占欲は、みんなが誰かをかわいいと思う魅力からは少し逸れているところにある気がして、そこが本当に愛おしい。

 

この街で俺以外 君のかわいさを知らない(大宮サンセット)
君はブチこそ魅力 小町を凌ぐ(ブチ)
憎たらしい笑顔 よくわからぬ手振り 君と生きていくことを決めた(ナナへの気持ち)


こんな歌が頭の中で流れていた。



ここからは「月面と眼窩」ネタバレ。

 

 

 
 
 
 
 
 


「カルシウムをとります」という言葉に対して、サヤマさんの最後のいちご牛乳、か、かわいすぎる!!カルシウムをつけるというゴトウくんの言葉を聞いて差し入れたのだろう。 
カルシウムなんだから、差し入れは牛乳でいいんだけど、牛乳だとストレートすぎるから、いちご牛乳で少しぼやかしたのかなと思うと、かわいくてかわいくて仕方ない。この精いっぱいでツンデレな感じに心底キュンとする!最後のこのシーンで、この漫画が大好きになった。

「春と盆暗」は、商業誌というよりコミティアっぽいなあという印象があって、苦手な人は苦手な作品だと思う。けど、行間を読む楽しさを感じられる人はきっと、一読したときよりも二回目の方がうんと、自分の身近な感情だと感じて、楽しい。

 

私と西加奈子と2016年

 

昨年、西加奈子の書く本にハマった。

だいたい私は女くさい話が好きで、田辺聖子の「典子三部作」とか角田光代の「対岸の彼女」なんかが好きなのだが、西加奈子はそういう方面から好きになったというよりは、全肯定型なところを好きになった。彼女の本の帯で、いつも又吉はそんなことを言っている。特に「ふくわらい」に対しては、そう感じた。

 

ふくわらい (朝日文庫)

ふくわらい (朝日文庫)

 

 


この人の書く話は、
「過去の自分があって今の自分がいる」
という強いメッセージ性があることが多いのではないかと思う。
そして、この普遍的な言葉は、西加奈子の場合、
「自分がしてきたすべての選択、行動が、今この瞬間の自分を作っている」
と言い替える方が圧倒的に正しい。

なので、どんなに後悔することがあっても、今この瞬間の自分が好きであれば、結局何でも許せてしまう。 過去の選択がなければ今の自分はいないのだから。

なんやそれ、究極に楽になれる考え方やんけ!!!!

私はずっと選択に関して、「失敗しないこと」を重きに置いてきた。
だからこの考え方は脳内に雷が走るくらい衝撃的だった。
それはつまり、損したって、間違ったっていいってことだから。

「失敗しないこと」に重きを置く場合、精度を上げるために自分以外の価値観や意見が必要になってくる。
ということで、いつも私が選択をするときには、脳内にバーチャル杉本さんがいた。

杉本さんは、前職でグラフィックを担当していたギャルである。
服もテンション高いと全身黄色とかショッキングピンクを平気で着てくるし、髪も常に金髪。口調もギャル。
しかし仕事には真剣で、彼女のグラフィックには定評がある。
自分の欲求のまま自由に生きながら実績を残している最強の女である。

そして最強の女、杉本さんは人生に常に後悔がない。やりたいようにやり、したいことがあればその努力は惜しまない。現役東大生の恋人と別れても、翌週にはスペイン人と恋をしている。グラフィックをしているが、次は保育士を目指すと言って退職した。彼女はいつも輝いている。

なので、何かにつけて、迷ったときは脳内の杉本さんに問いかける。
「杉本さんならこういうときどうするだろう?」と。

失敗しないために、常に自由に生きているバーチャル杉本の意見をあてにしていた訳だが、なんだかずっと釈然としなかった。
それもそのはず、それは私自身の意見ではない。彼女が魅力的なのは自由に生きていたからなのに、私は自分以外の誰かの意見に縛られて、ちっとも自由ではなかった。

それが自分を生きづらくしているのに気付いた頃、同時にいろんな折り合いに自分を犠牲にする方を選び続けていたら、体の不調が無視できないところまできていた。私は大好きな恋人との別れという、これ以上ない大きな大きな大きな選択をし、その後ぱたりと倒れて、立っていられなくなった。
今思えば、多方面で無理していたここ数年分の垢が火薬となり、別れを契機に火がついて爆発したような感じだった。

大好きな恋人との別れは本当に正しかったの?会社に行く気になれない日に自分を甘やかしていいの?どうして体がうまく動かないの?毎日辛くて泣いているとき、母に言われた言葉がある。
「大丈夫、あなたのすることはぜーーんぶ正しいんだからね!」
この言葉は頭にガツーーンと響いた。

あー、そうか、母は西加奈子と同じこと言ってるんだ、と。
全部正しいなら、間違ってることは一つもない。

数か月後、私の思考には劇的な変化があった。
体調を崩したおかげで「今は無理しない」「今できることしかやらない」「自分のペースがあるから、それは甘えじゃない」「そしてそのことを相手にも伝えていい」という考え方が人生で初めてできるようになっていたのだ。当たり前のことだが、私はこれが本当にできなかった。勉強も極限までやって、志望校に推薦で入学したし、苦手な体育の球技は内緒で家の前で満足するまで練習した。どんくさい自分が人よりも良い成績を残すためにはまっすぐ努力をするしかなかった。 努力は実を結ぶことを知っているから、一生懸命をやめれなかった。

だから、こんな自分初めてだった。手放しで好きだと思えるくらい荷が軽かった。
「やらないこと」をすんなり選択できる自分に、初めて満足した。

結果的に「選択に間違いなんてないな、大切な人を失ってすごく辛いけど、考え方はうんと変わった。今の自分好きだから、悲しいけど後悔ばかりしても意味ないや。どんな選択をしようが大抵はうまくいかないし、なんとでもなる。」という結論にたどり着く。

26歳、気づくのは早い方だったと思う。これがあと10年遅かったら、絶対にもっと辛かった。

「自分がしてきたすべての選択、行動が、今この瞬間の自分を作っている」という言葉は、人生には何一つ間違いがないことを教えてくれた。
選択はいつも、「やりたい」か「自分にとって楽か」どうかだけでいい。それが自分にとっての正しいことに繋がるはず。

今の自分は、自分のやり方で、自分のペースで生きている。
少なくとも、前よりかはずっと。

2016年の末に「なんか荷が軽くてなんでもできそうな気がする!人生って一回きりじゃないね!いろんなアウトプットがしたい!やりたいように自分のペースで生きる!」って飲み屋で騒いでたら、友達が「中村一義の『そこへゆけ』の歌詞やな!一回きりじゃないから、って!」と言ってくれた。帰りに携帯で歌詞見ながらバスに乗って、嬉しくなった。
きっと聴くたびに、この夜を何度も思い出すだろう。

相変わらず不安なこともたくさんある。
2016年に失ったすべての人やものに対して、割り切れた訳でもない。
思い出さない日は、あれからいまだ一日もない。
でも、自分の悩み事に対する解決の仕方が変わったこと、それが本当に大きな収穫である。

この西加奈子のメッセージが今一番強いなあと思っているのが、「ふくわらい」の他に直木賞を受賞した「サラバ!」なので、お暇な方は是非。

生きてるって最高だな。
2017年はきっと忘れられないくらい、いい年になる。

 

サラバ! 上

サラバ! 上